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SF名作を読もう!(10) 『華氏451度(新訳版)』

今回ご紹介するのはレイ・ブラットベリの名著『華氏451度』の伊藤典夫氏による新訳です。

このNoteではSF小説とは?SF小説の魅力とは?ということを大きなテーマとして考えてきましたが、これを読まされると、もはやそのようなジャンル論争などどうでも良くなってしまいます。小説というジャンルがあり、その中にSFも含まれるさまざまなサブジャンルがありますが、しかしこれを読むと小説は結局は小説である、ジャンルによりどうこうというわけではなく、優れた小説と、そうでもない小説とがあるだけで、ジャンルなどはどうでも良いのでは、と思えてしまいます。その意味で『華氏451度」はSF小説というよりも、小説、それも優れた小説といった意味での「文学」といって良いでしょう。

事実、この小説は設定が近未来というだけで、舞台を実際に焚書が行われていた時代に設定しても成立しうるでしょう。しかし、そこはやはりSF評であるここではSFだからこその部分にこだわりたいと思います。言い換えれば、SFだからこそ描きえた魅力は何か、という問いになりますが、それは一言で言えば、虚無感、孤独感といったものではないでしょうか。ジャンルを否定しておいて再びジャンルの話をして恐縮ですがこの小説は起こってほしくない未来を描いているという意味でディストピアと呼ばれるジャンルになります。つまり未来の話なので、当然その先は分かりません。もし、話を歴史的に実際にあった過去においてしまえば、当然我々はその帰結がわかります。つまり、どうなるかわからないというサスペンス性はSFだからこそ高められるということになります。そしてそのサスペンス性とは虚無の中にある一筋の光明というような言い方をしても良いでしょう。

ただ、その意味でSFは便利な「仕掛け」(設定)でもあります。となると今度はその「仕掛け」(設定)を「仕掛け」(設定)として見せないための具体的なディテールの描写が必要となってきます。その意味ではそのディテールも「仕掛け」(設定)といえば「仕掛け」(設定)なのですが、そこをどうリアル、そして読み手のリアル感(現時点での物事の認識)を超えた形でリカルに描き出すのか、がSFの魅力であり、SF作家の腕の見せ所と言えるでしょう。本作で言えば、ロボットの警察犬出会ったり、「家族」と呼ばれる壁にホログラフィック的に現れるドラマやニュースだったりします。ロボットの警察犬は(というよりは「あとがき」にあるように犬というよりも形態的には蜘蛛のようなものですが)今や実際に戦争の道具として開発されています。ホログラフックスクリーンの実現と普及もそう遠い未来の話ではないでしょう。しかしこれをラジオの時代に想像していたというところが、そしてそれを小説の中でリアルな形で違和感なく描いているところが、この作家のすごいところです。小説として、文学としてすごい上に、SF的な想像力と創造力に溢れている。だからSFはすごいしだからブラッドベリはすごい、というのが今回の結論です。

と、今回は作品紹介というよりも感想が中心となりましたが、ある意味、設定(仕掛け)自体がこの小説の魅力のため、敢えて中身には触れませんでした。とにかく名著であることは間違いありません。是非、お読みください。


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