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アマゾンプライムお薦めビデオ② 73『ドライブ・マイ・カー』

さて、今回お薦めするアマゾン・プライム・ビデオはこちら。米アカデミー賞国際長編映画賞受賞の記憶もまだ新しい濱口竜介監督作品『ドライブ・マイ・カー』です。

この作品、村上春樹原作という点でも話題となりましたが、映画はやはり濱口竜介監督のものです。その意味では原作というよりも「原案」と言った方が適切でしょう。あの、イ・チャンドン監督による『納屋を焼く』の映画版である『バーニング』もそうでしたが、村上春樹の短編小説は(というか村上春樹の作品に限るわけではありませんが)、短編であるがゆえにその背景にあるであろうものが読む側にそれぞれに広がってきます。そして監督の解釈や湧き上がってきたイメージをもとに、今度は映画というものが作られます。それがこの映画です。そしてそれは大成功しています。

そして今回(=この映画)にはそこにさらに演劇という要素が被さってきます。村上春樹の原作では主人公の家福(名字です)は俳優ですが、映画版では俳優であると同時に演出家でもあるという設定になっています。そしてこの演劇という行為、演出という行為はまさに作家が書いた台本を解釈したうえで、そこに演出家のイメージも重ねていくという作業です。そしてそこで演出される作品はチューホフの『ワーニャ伯父さん』。これは原作でも、主人公の俳優が舞台で演じている作品なのですが、もちろんこの作品が取り上げられている点にも意味があります。そして小説版でも映画版でもこの作品自体については特に説明はしない。映画版で切り取られるのはひたすらこの台本の本読みをしているシーンと、立ち稽古の場面くらいです(本番の舞台自体もちらりとは出てきますが)。

つまりこの映画は原作の持つ多層性も意識したうえで、さらに層を足して厚みを加えている映画だと言えます。そもそも、この作品、一応村上春樹の短編小説がもととなっていますが、さらにその元をたどればタイトルはあの『ノルウェイの森』同様、ビートルズの曲名から来ていますし、作品のモチーフとしては先にも述べた『ワーニャ伯父さん』もあるでしょう。ということで、さまざまな作品の積み重ねの積み重ねの積み重ねの上にこの映画はあるのです。しかし、それは決してちゃんとそれぞれの作品を読んだうえでこれを観ろ、ということではありません。見る側は何も知らなくていいのです。ただそこに「厚み」「層」を感じればいいのです。事実、この映画でもその積み重ねの層は、映像上でもストーリー上でもあくまで断層としてちらりと提示されているだけです。しかし、それでも、というかそれだからこそ、見ている側はそこに厚みを感じるわけです。見ている側それぞれがそれぞれの形でその映画にあるであろう背景を考えことになりますし、さらにはわたしのようにそれをこのようになんとか言葉にしてみよう、この映画を見ての感動をなんとか言葉にしてみようと思うものも出てきます。そう、その意味で、作品というものは常にインプットで終わらず、見ているものの心に何らかの振動を与え、そしてその振動が何らかの形でアウトプットへとも繋がっていく(結果としては繋がらなくてもそのような衝動を引き起こす)ものなのです。

そして同じこと(多層性が生み出す厚み)は俳優にも言えるし、映画に出てくる場所(土地)についても言えます。我々はある俳優を見るとき、その俳優の過去作品もある程度は頭に入って(残って)います。そしてその上で、その作品でその俳優が演じている役をイメージしています。その意味ではその「層」が厚い俳優がいい俳優なのかもしれませんが、でもそうではない場合もあります。例えば、今回運転手役を演じた三浦透子さん。不勉強ながら彼女のことは知りませんでしたが、今度は知らないからこそ、その背後にあるもの、つまりは「層」というものを見る人は考えてしまいます。そしてその俳優を知らないからこそ、その「層」はその俳優が演じている人物とも重なってきます。つまりは見ている側は引き込まれるのです。

と、長くなりましたが(映画自体も長いですが)、とにかくすばらしい、決して見て損はしない映画です。是枝裕和監督同様、濱口監督もこれからは日本以外の国で映画を撮ることがもしかしたら多くなるんじゃないのかな、と個人的には思いますが、現時点での濱口監督の最高傑作であることはまちがいありません。『寝ても覚めても』でちょっと物足りなさを感じた方もいらっしゃるかもしれませんが(私もその一人です。いろいろな事情はあるのでしょうが、あの映画ももしかしたら今回のように3時間近くの長さにしたほうが(できたほうが)良かったのかもしれません)そのような方にこそお薦めの映画です。是非ご覧ください。


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