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41. ここに既にすべてがあるという凄みと驚き:坂本龍一『千のナイフ』

このマガジンへの記事は数か月ぶりの投稿となる。その間、高橋幸宏氏に続き、あの坂本龍一氏さえもあちら側へ行ってしまった。病状については本人も発信されていたこともありある程度は知っていたが、やはりショックは大きい。私にとって(というか私世代の多くの人にとって)、会ったことさえなくても、この人こそが音楽の先生(=教授)であったからである。

この間(坂本氏ご逝去のニュースを聞いてから)、氏の音楽を何度か聞き返した。そして改めて思ったのは、氏は前衛でありながらポップであった、あるいは前衛であったからこそポップでもいられた、という事実である。そしてその事実が顕著に表れているのは氏のソロデビュー作である『千のナイフ』である。

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1978年発表のアルバムであるが、1978年はYMOファンにとってはむしろYMO結成の年として知られているであろう。事実、『千のナイフ』収録の「千のナイフ」や「The end of Asia」はYMOの曲としても知られている。そして誰もが(というか私がそうだったのだが)YMOのほうがオリジナル(先)で『千のナイフ』収録版はその坂本氏によるアレンジ(後)だと思うであろう。YMOの方がシンプルであり、『千のナイフ』収録版のほうがいろいろと凝っている、これでもかというほどに複雑で難解なものになっているからである。しかし、事実は違う。「千のナイフ」収録版の邦画むしろ先でYMOによるアレンジはその後なのである。つまりYMOにおいては単純なものを複雑化する作業が行われているのではなく、むしろ複雑なものを単純化するという作業が行わたのである。


そしてそれが、いわゆるテクノポップのブームだったと言える。テクノポップは正にポップであった。しかし、ここで言いたいのはポップ=単純と言うことでは決してない。ある意味洗練させる、エッセンスはしっかりと残しながらシンプルに削り上げるということでもある。そしてそうすることで、いわゆる製品、商品として仕上げる、ということである。何事もそうであろうが、まずは理解されなければ、受け入れなければ意味がない。そう、つまり坂本氏はじめYMOのメンバーにとってはいわゆる「テクノポップ」とはまさにそのための「戦術」だったのである。そしてそのような「戦術」が取れたのは坂本氏はじめ全メンバーがその背後に音楽に関する膨大な知識と卓越した技術と信頼できるミュージシャン仲間のネットワークを持っていたからである。そして、この『千のナイフ』は正にその知識と技術のショーケースとなっている。

ライナーノートによれば『千のナイフ』は発売当初は200枚程度しか売れなかったそうである。しかし、今となってはどうか。もはやこのアルバムはある種の古典(クラシック=名盤)となっているであろう。つまり我々後の世代の人たちにとっての一つの参照点となっているのである。ここにはpopもあれば、現代音楽もあればクラシックもあれば劇伴(映画/映像音楽)もある。即ちその後坂本氏が展開していく活動の、すべてがここに詰まっている。この事実に対して我々は「参った」としか言えないし、ある意味では「天才は最初から天才なのだから」という言い方もできよう。しかし、その「天才」が勉強と努力によるものであることを我々は忘れてはいけない。確かにこの時点で坂本龍一というアーティストはある意味完成している。しかし、彼はその後も活躍し続けたし、更なる進化を遂げ続けたのである。「天才」とはそのように途切れることなく活躍し続けられる人のことである。


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