アマゾンプライムお薦めビデオ③ 114:『ゴジラvsコング』と『キングコング:髑髏島の巨神』
ゴジラを追っていたら、コングに出会ってしまった。そんな感じである。『ゴジラ-1.0』も好評なゴジラであるが、『シン・ゴジラ』やアニメシリーズの『ゴジラ 怪獣惑星』以降、このモンスターバースシリーズのゴジラもそうだが、もはやゴジラ自体がマルチバース化してしまったと言えよう。しかし、どのゴジラも基本的にゴジラはゴジラである。ゴジラと言うキャラクターはもはや世界共通の記号であり、その意味で一種の世界遺産(レガシー)であると言っても過言ではないだろう。
モンスターバースシリーズのゴジラは映画館で追っていたが、『ゴジラvsコング』はコロナ禍の真っ最中であったこともあり見逃していた。コロナさえなかったらもっとヒットしていた映画だろう。小栗旬の本格的なハリウッドデビュー作でもあり残念である。内容的にも前作の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』でちょっとくどいかなあ?と感じていたファンも、これなら納得という傑作である。
しかし、タイトルこそゴジラが先に来ているが、この映画、実はコング側の映画である。同じモンスターバースシリーズでも、ゴジラは追っていたが、コングの方は追っていなかった。正直思い入れの違いなのだが、この『ゴジラvsコング』をみて、その思い入れはコング側にもぐぐぐっと入って行った。そこで改めてみてみたのが『キングコング:髑髏島の巨神』である。そしてこれが良かった!
時代設定がベトナム戦争のころであるのも良い。『地獄の黙示録』、『フルメタル・ジャケット』、『プラトーン』などベトナム物にハズれはない。アメリカがダメだった時代であるからこそ、その時代には魅力がある。本来はクレイジーではない人たちもクレイジーにしてしまった時代であり、戦争であった。そして敢えてその時代を舞台としての怪獣ものである。そしてコングは怪獣ではありながらもある意味守り神なのである。
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』で描かれたように、ゴジラが生態系の頂点であり、それゆえに生態系を守る存在であるのならば、コングは一つの島を守る存在に過ぎないかもしれない。作品中にベトナムもフロリダも半島であるにもかかわらず「島」扱いするジョークと言うかセリフがあるが、しかし、半島が大陸につながっているように、この島、髑髏島ことスカルアイランドは、怪獣が支配する地下世界とつながっている。そう、その意味でコングはゴジラに負けず劣らずのキングなのである。
そしてそのゴジラとキングが相まみえるのが『ゴジラvsコング』なのだが、こちらは一転して現代、と言うかおそらく近未来が舞台である。その意味ではこちらのコングは前作のコングの子孫なのかもしれないが、いずれにせよコングはコングである。『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』はラドンあり、モスラあり、キングギドラありのある意味怪獣大戦争であったが、こちらではとうとうあのメカゴジラも登場する。スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』でメカゴジラが出てきた時にも驚いたが、海外でもメカゴジラの認知度と人気度が高いことに改めて驚かされる。まあ、あとはストーリーに関わるのでこれ以上は話さないが、メカゴジラが「メカ」であるということ(つまり操縦するのは人間であるということ)もあり、『ゴジラvsコング』は『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』に比べ怪獣ものと言うよりは人間ドラマ色が強い。一種のベトナム物でもある『キングコング:髑髏島の巨神』もそうである。つまり、ゴジラは怪獣と、コングは人間と相性が良いのである。ゴジラはあくまで怪獣であり、そこに何らかの意思や意図はあるが、基本的には何を考えているのかは分からない。一方コングは怪獣と言うよりも巨大な霊長類であり、なんとなく人間とは通じるものがある。しかしだからといってコングを人間側の味方、ゴジラはそうとも言い切れない、などとしてしまわないところがこのモンスターバースシリーズの魅力でもある。なぜなら人間自体が必ずしも善であるとは限らないからである。違う言い方をすれば、怪獣を評価する立場にあるのが人間なのではなく、むしろ人間を評価する立場側にいるのは怪獣たちなのである。
ちなみに、今回取り上げた2作品、監督こそ違うが、どちらも選曲のセンスが抜群である。怪獣映画と言えば、日本人がイメージするのは伊福部昭の荘厳な音楽であるが、ここで使われているのは、むしろノリの良い懐メロ間こそ感じるオールドロックである。この音楽の使い方も、この2作品を怪獣映画として見るだけではなく、人間ドラマとしても見させてくれる一つの要因なのだろう。とにかく、まだ見ていない人にはぜひ見てもらいたい。モンスターバースシリーズの中でもお薦めの2作品である。
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