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愛する日日のコップ

令和四年六月某日

梅雨の始まりを感じる日々。毎朝一日分淹れるコーヒーもアイスが増える。V60からポタポタとパイレックスに落としたコーヒーを、ざばっと氷で急冷する。半分はポットに。残りは酸化を気にしながらも、ちびちびとコップでやる。今日はそのコップのお話。

普段使いのコップは何となくの使い分けはあるけれど家族共用。沖縄、倉敷、メキシコ、福岡、秋田、中東など、など。新古問わず棚にある。どれも気に入って手に入れ、大切に使っている。
それらとは別に飾ったりしまったりしながら使う愛するコップがある。一般的な価値が高い訳で無く、殊更目立つものでも無い。日常の、当たり前のコップなのだが私の宝物の一つだ。この宝物だけは私専用で使う。

私の愛するものにたらしめているのは高台だ。敢えて言えば「安定の美」。すっくと素直に伸びたコップに高台が備わる。目と手に重さと軽さを塩梅よく与えている。
ガラス工に聞くと、型を用意すれば特段吹くのに難しいことはない。ネガティブな面を上げるとすれば、高台の反対に溝ができ、そこに汚れが溜まりやすいということ。
このコップで冷えたコーヒーや常温のお茶を飲む。厚く吹かれた縁は唇に柔らかく当たり、普段の、飲む行為を特別なものにしてくれる。そしてついつい小指で高台を確認する。

凡なる非凡に美を見て、喜び楽しんでいる。それもまたものに対しての作法の一つである。


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