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野球選手どころか野球少年になる夢も叶わなかったのに、まさかの新卒でプロ野球業界の一員になった森原さんの話

こんにちは。PLMキャリアです。
スポーツ業界で働く様々な人達のキャリアストーリーをお届けしていくシリーズの、第3弾をお届けします。前回までと同様、様々な背景を持った人々が集まるスポーツ関連企業のひとつである弊社の社員をご紹介しす。

シリーズ第3回目に登場するのは、パシフィックリーグマーケティング株式会社(PLM)メディア事業本部メディア事業部の森原健介さんです。

スポーツ業界、特に球団やクラブなどでは即戦力が求められるため、現状は新卒採用より中途採用の方が多いです。ですが、新卒でもスポーツ業界に入るチャンスはあり、活躍している方もいらっしゃいます。森原さんも大学を卒業後、新卒でPLMに入社しました。彼がどのようにして新卒でスポーツ業界へ入ったのか、そのキャリアストーリーをお届けします。

森原健介さんプロフィール

森原 健介
パシフィックリーグマーケティング株式会社 
メディア事業本部 メディア事業部 メディアグループ
大学在学中にPLMへアルバイトで入社。事業開発部にて、制作・人材・イベントなど幅広く業務に携わる。大学卒業後、2020年4月より社員として入社。現在はメディア事業本部にて、パ・リーグ.comなどを担当。

野球への想いを胸に陸上に打ち込んだ少年時代

ジャイアンツファンだった父の影響もあり、幼い頃から野球が大好きな少年でした。地元の鳥取から家族と東京まで旅行し 、東京ドームで試合を観戦したこともあります。地元球団を持たない小さな街で暮らしていた我々一家にとって、プロ野球の現地観戦というのはビッグイベントです。あまりの嬉しさと興奮で必死に叫びながら応援している僕の姿を見て、近くの席で観戦していた常連と思しきファンの方々がグッズをプレゼントして下さったこともありました。そういった嬉しいサプライズも含めて、少年時代の素晴らしい思い出です。 

そういった背景なども手伝って、小学校に入ったタイミングで自分も野球がしたかったのですが、いざ自分が始めようとする立場になった途端、勉強が疎かになると親に反対されてしまいました。共働き家庭で送り迎え等のサポートが現実的に難しいという事情もありました。その時は非常にがっかりしたものですが、それでも野球への想いは消えず、友達と公園で草野球をしたり、家で野球中継を観るなどして野球に触れる生活を送りました。

その後中学に入ると部活に全員加入する決まりでしたので、ここでようやく野球部に入って本格的に始めるという選択肢が現れました。ところが蓋を開けてみると、同学年に各小学校の一番上手い選手達が集結したような面子が揃っており、とても未経験の自分が入っていけるようなチームではありませんでした。当然残念な気持ちもありましたが、一方で諦めもついたので陸上部に入部し、そこで部活に打ち込みました。長距離の1500mと3000mに取り組んだのですが、運良く3000mで鳥取県1位(1500mは3位)になることができて、中国大会にも出ることが出来ました。「陸マガ」こと『陸上競技マガジン』にも掲載され、物凄く嬉しかったのを憶えています。結果的に陸上を選んで正解だったのかもしれません (笑)
ちなみに高校でもそのまま陸上を続けましたが、怪我もあって思うような結果が出ず、途中で打ち込む対象を勉強に切り替えました。
昔から社会を良くしたい、人が幸せに暮らせる世の中の実現に貢献したいという気持ちは強く持っていたので、自分なりにそれが実現できそうな進路を考えた結果、当時真っ先に思いついた官僚を目指すことに決めて、受験勉強に勤しむ高校生活が始まりました。

教育の道を目指すことに

タカサカモトさんの「寺子屋」で学ぶ当時の森原さん

そんな高校生活の中で出会ったのが、弊社PLMの現メンバーで、同じ鳥取市出身のタカサカモトさんでした。最初の出会いは私が高校1年生の時、地元の塾の夏季講習でサカモトさんの授業を受けたことです。当時ブラジルのサントスFCのスタッフとしてリモートで働きながら、それと並行させる形で地元で教育者として活動していることを知って、非常に興味を引かれたのを覚えています(鳥取ではまず出会わないタイプの人でした)。

その後、本格的に受験勉強に向かうようになった高校3年生の時に、彼が鳥取で自ら運営していた学び場に生徒として通うことにしました。そこでは受験勉強の指導もしっかり受けるのですが、サカモトさんが次々に連れてくる様々なゲストの皆さん(珈琲焙煎士さん、革職人さん、お医者さん、タレントさん、絵描きさん、ダンサーさん等々…)に話を聞かせてもらったり、仲間と一緒に映画を観たり世界各国の音楽を聴いたり、勉強以外の刺激的な時間も沢山あって視野が大きく広がりました。それまで漠然と官僚を目指して勉強していましたが、考えてみれば人々の生活を良くする方法はたくさんあるんだなと気付き、その頃から教育という分野に興味を持つようになりました。

高校卒業後は一浪を経て東京の大学へ進学しました。受験生当時サカモトさんから「俺らみたいな田舎者には大学の中だけじゃなくて、東京の街全体がキャンパスになるぞ」と言われた言葉が強く印象に残っていたので、自分もそういう意識で様々な経験をしたいと思い、スポーツ、語学、インターンなど興味の向くままに学内外の色々な活動に首を突っ込みました。(ちなみにサークル活動という形で遂に念願の野球にも挑戦しました・笑)

その中でもやはり一番の関心は教育だったので、大学では教員免許を取得し、学外でも塾で働いたり、いくつかの教育機関に出入りして更に見聞を広めました。いずれも卒業後すぐに教育の道に進むことを考えての行動でしたが、色々な現場を経験する中で、その考えが揺らぐような瞬間も少なからずありました。例えばある教育現場では当事者から「学校の勉強は社会に出たら結局役に立たない」と言われ、「それは本当なのか、それなら逆に役に立つことってなんだろう」と考え続けたり。こういった経験を重ねる中で、同じ教育の道に向かうとしても、必ずしも大学卒業後すぐにでなくても良いんじゃないか、と考えるようになりました。と言ってもこの時点ではまだスポーツビジネスという分野は全く発想になく、進路変更の直接のきっかけになったのは、奇しくも再びサカモトさんでした。

PLMとの出会いからスポーツビジネスの世界へ

高校卒業後もサカモトさんとは時々連絡を取り合っていたのですが、ある時、元々サッカー界を中心に活動していた彼が、珍しく野球の会社(PLM)と関わるようになったと報告してくれたことがありました。それで時々野球の話をするようになったところ「ちょっと待った。陸上少年のイメージしかなかったけど、何でそんなに野球に詳しいんだ?」と驚かれ、そこで初めて幼い頃からの野球への想いを打ち明けることになりました(隠していたわけでもないのですが、単純にそれまで話す機会がありませんでした)。実はこの時点ですらスポーツ業界を目指す発想は全く無かったのですが、私の話を聞いたサカモトさんから「え、じゃ野球の仕事もアリじゃね?何かやってみたら?」と言われたことで、初めて自分の現実の進路としてのスポーツ界、特に野球の世界が視野に入ってきました。

改めて考えてみると、幼い頃からずっと大好きで親しんできたスポーツ、しかも野球の世界に仕事で携われるのだとしたら純粋に素敵なことですし、何より多くの人に愛されるスポーツの分野でビジネスの経験を積むことは、いつか教育の道に進むにしても間違いなくプラスになるだろうと感じられました。そこで改めてサカモトさんにその考えを伝えたところ、PLMも年度替りでちょうどアルバイトのポジションが空くということを教えてもらい、思い切って応募することにしました。

こうしてアルバイトとしてPLMへ入社し、各事業のお手伝いをする形で「スポーツ業界」に携わり始めました。「PLMキャリア」のサポートやお客様対応、営業のサポートなどをしました。初めての経験ばかりだったので何をやっても楽しかったですし、充実していました。

その後、PLMで働く中で、CEOの根岸さんからパ・リーグ6球団公式コンテンツメディア「パ・リーグ.com」の構想を伺う機会があり、非常に興味を持ちました。ビジネス上のプロジェクトとしても、いち野球ファンとしても、パ・リーグの包括的なプラットフォームが誕生するということにワクワクする自分がいました。

ここで少しだけ話を戻すと、実は大学入学後に色々挑戦してみた中のひとつに、同じ大学の先輩が立ち上げたベンチャー企業でのインターンがありました。具体的には代表と2人でゼロから新規メディアの立ち上げを行ったのですが、短期間で本格的な収益化に成功したこともあり、この時に学んだウェブの知識やデータ集計・分析のスキルは今後の自分の得意領域になるかもしれないという手応えを掴んでいました。

そして、たまたまサカモトさんからその話を聞いていた根岸さんが興味を持ってくださったことから「パ・リーグ.com」のお話を聞かせていただくことになり、改めて自分の経験や当時の業務内容、実際の成果等をお話したところ、プロジェクトメンバーの候補にリストアップして頂きました。僕自身も学生時代に得た経験を大好きな野球と掛け合わせて仕事にできる千載一遇の好機と感じたので、これは是非携わりたいと思い、率直にその気持ちをお伝えしたのを覚えています。その後、プロジェクト責任者の方との面談等を経て正式にメンバーに迎えていただけることになり、大学を卒業した2020年4月のタイミングで新卒社員として入社しました。

コロナ禍の入社から現在の業務まで

ここからは入社後の話になりますが、やはり触れておかなければならないのは入社時の特殊な状況です。というのも、前述のように2020年4月のことですから、新型コロナウイルスによるパンデミックの発生と完全に時期が重なってしまいました。そのため入社した瞬間からリモートワークでのスタートとなりました。すでに1年間のアルバイト経験はあったもの、バイト時代と入社後で所属部署が変わったことも手伝って、最初は誰が何をしているかもまともに把握できず、かつ誰に何を聞けば良いのかも分からないような状態でした。入社を決めた際に設定した自分の目標(「パ・リーグ.com」に貢献する)が揺らぐようなことは全くありませんでしたが、その目標にいかに辿り着くか、具体的に何をどこからどのように実行していくかを探ることに関しては、非常に大変だったというのが正直な気持ちです。特に社員間のコミュニケーションに関しては、まともにご挨拶もできぬままオンラインで始まったことの難しさをひしひしと感じていましたが、感染状況が多少落ち着いてきたタイミングで自ら出社の回数を増やすなど、こちらから積極的に動いて機会を作りながらコミュニケーションを図る工夫をしています。結果的に様々な方と仕事をする機会を得られ、また同じ社内でも複数の視点や働き方があることも学べているため、アルバイト時代と社員になった後で所属の事業部が変わったことに関しても、個人的にはポジティブに捉えています。

というようなコロナ禍ゆえの特殊な事情も多少ありましたが、業務内容としては入社時の予定通り「パ・リーグ.com」の構築や公開準備、公開後は運用やサービス展開に関わる仕事に携わらせてもらっています。お客様が求めている機能や頻繁に使用されている機能などを分析し、より良いサービスを提供できるようにと考えながら、日々試行錯誤を重ねています。

「パ・リーグ.com」はちょうど最近公開したばかりですので、その瞬間には「やっとサービスを世に出せた」という感慨はありましたが、実感としては「ようやくスタートライン」という気持ちの方が強いです。同じ野球ファンであるユーザーの皆さんと一緒に作り上げていくプラットフォームだと思っていますので、むしろここから、お客様の声や様々なデータをどのようにサービスへ活かしていくかがとても重要です。

少年時代には想像もしていなかった世界での仕事

現在のPLMでの仕事は、プロ野球ファンの皆さまに直接届くサービスに携われている点、そしてサービスを運用しながらお客様のリアルな声をお聞きすること自体にやりがいを感じています。時には厳しい声をいただくこともありますが、一方で良かったという声もいただきますし、その全てがやりがいになっています。お客様がどう考え何を望んでおられるのかを、口コミからデータまで様々な方法で読み取って活かしていけるような仕組み作りを今後実施していきたいです。ゆくゆくはパ・リーグファンの皆さんにとって不可欠な、文字通り「パ・リーグの全てがここにある」というプラットフォームに成長させていきたいです。

今の自分を小学生の頃の自分が見たら、きっとすごく興奮するだろうと思います。野球選手どころか野球少年になることすら叶わなかった田舎の少年が東京で、想像すらしたことのなかったプロ野球の世界で仕事をしているのですから、ちょっとした奇跡のような話です。

今の仕事は大好きですし、やりがいも充分ですが、その上で、やはり将来的に教育関連の事業に携わりたい気持ちも依然として抱いています。現時点で「これ」というものが具体的に見えているわけではないのですが、せっかく今こういう仕事をしていますし、スポーツと教育を掛け合わせたような事業に挑戦してみるのも面白いかもしれません。

最終的にどんな方向に進むにせよ、全ての経験がその先の仕事や生活に活かされると思っているので、学生時代に色々挑戦した時と同じような気持ちで、とにかく様々な経験をしたいと考えています。まだまだ色々学習中の新卒社員ですから、少なからず失敗の経験も積んでいくことになると思いますが、そうした失敗からも多くを学んで、自分の幅や深みに繋げていきたいです。

いずれにしても今は「パ・リーグ.com」の一員として、自分でも納得のいくサービスに仕上げていくことに全力を注ぐのみです。目の前の仕事や課題に全力で向き合いながら、楽しく修行を続けていきたいと思います。
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