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ブックカバーチャレンジ3日目‐反逆する風景‐

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3日目、今日紹介するのは、「反逆する風景」。

「もの食う人々」という本で有名な辺見庸さんの本。

この本を手に取ったのは、これまた大学1年生だったかと思う。それまで優等生チックな「意味ある世界」で生きてきた自分にとって、反逆する風景というコンセプトそのものが衝撃だったことを覚えている。

同時に、この本が好きな幾人かの友人にも出会い、その出会いもまた大きな衝撃であった。
私の小中高校での生活というのは、思うにものすごく単純だったのだと思う。訪れる出来事が語る「意味」を拾い上げ、それを言葉にまとめ、自らの受け取ったこととして口に出していく。それだけでやっていくことができた。(今思えば自分が勝手に単純化していただけだったのだが。)
そして大学に入り、出会うのだ、こうもわけのわからない人たちと。

自分の中で正しいと思い、誰もがそう思うだろう、と思う意味付けが、その意味付けの過程ごとひっくり返される。土台ごとひっくり返すなんて反則だ…。
友人たちと、わけのわからない中ひたすら言葉を交わしていく中で、大きな顔をしていた自分の中の正解が、どんどん収縮していった。

そうして気づくのである。自分が正解としていたものは、みんながこう思うだろうなというフィクションであって、「自分」が感じたリアルではないことに。いくら共感を得られたところで、それが実ではないということに。

その後自らも旅をするわけだが、おそらくこの本を読んでいなかったら、またこの私のことである、意味のある風景ばかりをとらえ、それしか記憶に残さなかったであろう。

実際、私が日本に帰ってきて語るほぼすべての事柄は、意味づけをされた風景である。というかそれ以外に語る術を私は知らない。(だからこの本はすごいのだけど)
けれども今の私に影響を与え続けているのは、むしろそのような意味づけされない風景たちではないだろうか。カオスの中から常に訴えかけてくる彼らではないか。

いつか、自分も意味づけを嫌うこの記憶たちを言葉の中によみがえらせたいと思う。

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