ロックバンドが必要な瞬間。
たとえば終わらない仕事を前にしてやるかやらぬかの何ラウンド目かの葛藤を頭の中でしている時とか、
暇な休日の午後に混んだ喫茶店で煙草をふかしながら唐突に何年も前のまあまあ楽しくない記憶が蘇ってきたときとか、
起き抜けに見上げた真夏の青空がじわりじわりと自分の身体を蝕んでいくような気がする瞬間とか、
さして飲みたくもない缶コーヒーを買うために、真夜中にいくつかの真っ暗な角を曲がり路地を歩いているときとか、
電車での帰路、溜息を小さくついてうなだれた頭をもたげたときに窓に映った吊り革を持つ冴えない自分のその顔を見た瞬間とか。
おれ、こんな顔してたっけ、お前はだれだ、と蛍光灯に青白く照らされた自分に誰何する、
お前はだれだ、お前は一体だれなんだ、何者なんだ、どこへ行くんだ、何をするんだ、と己れににじり寄り詰めに詰めまくられてうずくまりたくなるとき、
そんな瞬間にロックバンドは必要になる。
歪んだギターのカッティングが、頭の真ん中を突くキックが、思考をなぞるようにうねるベースラインが、そして、さらに、強く、どこまでも、言葉という矢をメロディという弓にかけてギリギリギリギリギリギリギリと限界まで引き、やがて放たれる歌という矢じりが突き刺さったとき、そんな1秒に、
そんな瞬間に、ロックバンドは教えてくれる、
自分がだれなのか、ということを。
「おまえは、おまえだ」
それは多分ソフトから生まれた音楽ではなく、ピックを握る指と、スティックを握る手と、弦を弾く爪から放たれた音でなくてはいけない、そうでなくてはならない、人が、人間が奏でる音と綴る言葉でなくてはならない、少なくとも俺はそうだ、そういう音に助けられてきたし傷つけられてきたし抱きしめられてきたから、だから、それでいい、それがいい、という自信すら消えてなくなりそうな、24時間のうちに何度も何度も訪れる、そんな0.1秒に、
心から求める、欲しくなる、うんざりするほど必要としている、
ロックバンドを、必要としている。