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名前をつけてやる。

 道端に咲いている「雑草」と呼ばれる花の美しさなら100通りの言葉で言える。

その花は「雑草」ではなく立派な名前がついていることも知っている。

 ツタバウンランとトキワハゼ、ハルジオンとヒメジョオン、ノゲシとタビラコ、最寄りの駅から会社までの道のりを歩く間に目に入る花の名前を全部区別する術を学んで、正しく覚えたのはいつのことだったか、名前がどうしてもわからなかったときは勝手に名前をつけてやった、とびきり可愛らしい、けれどどこか哀しい名前を。 

 道端に咲いている「雑草」と呼ばれる花の美しさなら100通りの言葉で言える。

 言えるが、そんなもの何の役にも立たないことも知っている、笑ってくれ、クソだ馬鹿だと陰で罵ってくれ、わかるまい、わかるまいよ、「花」と聞けばフラワーショップでショーケースの中にあるいは店先に誇らしげに開く園芸種しか思い浮かばない奴には。

 そいつらは名前のついているものしか、あらかじめ誰かが貼り付けた名前しかしらない、ヒットチャートの上のほう、誰もが名前を知っている音楽を聴いて、通勤電車のドア脇に貼られているビジネス書の広告を見てAmazonでポチって読めば、自分の感性が広がる、誰かの役に立てる、誰かに敬われる、そう思ってるんだろう?

 名前のないものに名前をつける力、くだらなくて役立たずで誰も見向きもしない、そう、たとえばアスファルトを割ってなお開くその一輪の花の名前を調べて、わからなかったらつけてやる、そういうのがどうしようもなく好きで、だから役立たずのままでいるんだ。

 そんな俺を笑う蔑む奴らに、いつか飛び切り品のない名前をつけてやる。

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