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自分のことは自分が決める①自由と責任

「自分のことは自分で決める」

ワライバ!にいる中で大事にしてほしいことの一つ。
当たり前のことなんだけれど
あまりに蔑ろにされることが多いのです。

絶対しなきゃいけないことなんてありません。

ワライバ!に来ることも、
他の習い事へ行くことも、
学校へ行くことも、
宿題も、勉強も、遊びも
どんなことだって

全部するしないを決める権利は子ども自身にしかありません。

ですが、
あまりに管理されることに慣れすぎている子どもたち。

管理しやすいとさぞ優秀な社会の駒にはなれるのかもしれません。
自分で何も考えない人ほど扱いやすいものはありません。

子どもに関わり始めて違和感を覚えたことの一つに
「先生、トイレに行ってきていいですか?」と聞かれたことです。

これ当たり前と感じてしまうかもしれませんが、
生理現象で仕方ないのないことすら先生の許可がないとできない、と子どもが思ってるということに驚きました。

思わず、トイレくらい好きなときに行きな!と言ってしまったけれど、
それほどまでに今の日本の教育は自分で考えることじゃなく

いうことを聞く
大人が扱いやすい

こういう子たちが優れているとされて、
自分で考える隙なんてほとんどないのです。

朝起きたら学校へ行き、
帰ってきたら宿題をし、
そのあとは毎日毎日習い事があり、
家に帰ればお風呂に入ってご飯を食べて、
習い事の宿題や練習をして、

この日々のどこに自分で自分がすることを決める時間があるのだろう。

黙って大人の言うことを聞いていろ。
先生の言うことを聞けないやつはダメなやつ。
大人の言う通りに動ける子はいい子なんだ。

そうやって育てられた先は

大人になれば自分の進路は自分で考えろ、
したいことはなんだ、どんな人になりたいんだ
そんなことが大事なんだ、それを考えれない人は
誰かに管理されたまま言いなりになり続けるしかないなんて言われる。

そんな現実を見て『遊び』というものの価値を感じ、
『ワライバ!』というものを作ろうと思いました。

『遊び』というものは常に自分が主役。
するもしないも全部自分が決めていきます。

ワライバ!の時間もそうです。

ぼーっとするのも、誰かを羨むのも妬むのも
誰かと一緒にいることも、一人でいることも
遊びに入るのも、入らないのも
誰に言われるわけでもなく
全部自分が決めてやることです。

ワライバ!という場所に来ることで
「暇」な時間が担保され
「自由」が約束される。

その中で自分の心と葛藤しながら
自分が進んでいく方向を全て自分が決めていくのです。

のすけの言うことを聞きなさい!と言っていただけることもありますが、
僕は言うことを聞いてほしいなんて思ったことはありません。

子どもたちにも伝えてはいますが、

のすけか君たちを預かる条件に「安全」じゃないといけない。
だから申し訳ないけど、外には出るならのすけは君を預かれない。

自分で選ぶと言うことは
その先の結果責任は全て自分に帰するということです。

学校に行かなかろうが、
宿題をしなかろうが、
習い事に行かなかろうが、
何をしようが、

自分で選んだ責任は自分が受けるしかありません。

逆に言えば、自分で受けるので周りがとやかく言うことではありません。

でも自分に責任があるからこそ
真剣に向き合うことにもなるのです。

自由と責任はセットです。

責任がないから自由を与えられないと言うかもしれませんが、
自由を与えないから責任を持てないのかもしれません。

ワライバ!はたまに不規則日程なので
他の習い事とかぶることが昔からたまにありました。

そうなったときに、「〇〇とワライバへ被ったけどどっちにいく?」って決めている家庭がどのくらいあるのかわかりませんが、
そんなに多くはないんじゃないかなと思います。

学校に行きたくない!と言ったときに
休むか行くか自分で決めなさい。
とすんなり言える家庭も多くないのかもしれません。

そんなの何でもかんでもわがまま聞いて
親は言いなりにならなきゃいけないのか!と思うのかもしれません。

その理由の一つとして、
「子どものことが自分ごとになっているから」
「子どものことが自分ごとに関わってくるから」
だと思います。

ということで、次のnoteで
「自他分離」ということで書き連ねようと思います。

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