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儚さと美しさ。

桜を見ると、『儚いから美しいんだ』って言葉が思い浮かぶ。
こんなに咲くまで時間をかけて、今か今かと僕らを焦らすのに、あっという間に散る。
その散り際を綺麗だねって眺める僕たち。

儚いから愛おしく想うんだろうか。美しいんだろうか。

案外あっという間に人はいなくなる。
それは死別も然り、縁が切れる瞬間も然り。

どれだけ覚悟をしていても、わかっていても
会えていなかったはずだとしても
この終わりを告げられる瞬間は虚しくて寂しくて
嫌いだ。

この嫌いな別れがあるが故に
僕らはいまが愛おしく思えるんだろうか。
あなたに会いたいと思うんだろうか。
この日々が美しいと思うんだろうか。

儚いから•無くなるから今が美しいのだとすれば、
幸せの終着点は散ることなのだろう。
僕らは抗えない。

だから、僕は大切ができたら
失う瞬間を想像して怖くなる。
そんなやつ僕くらいだろう。
大切だと、愛おしいと思った瞬間に
終わる瞬間を想像してしまう。

でも、失うから大事にしたいんじゃないんだ。
儚いから綺麗に見えるんじゃないんだよ。
愛おしいから、大事だから
儚くなんかあってほしくないんだよ。
いつまでも咲き誇っていてほしいんだよ。
これが叶わない願いでも願い続けていたい。

たとえ終着点が散ることで
その瞬間が美しいのだとしても
僕らは散るために咲き誇っていたいのではない。

終わりたくないと願っても終わってしまうのだけれど、
どうか終わらないでほしいと、儚くなんかないと、
子どもの我儘のように祈り願いたい。

『儚い』の対極のような人生でありたい。

一瞬も一日も一週間も一ヶ月も一年も一生も、
いろんな想いや悩みや迷いや歓びを詰め込んで
儚いなんて言わせない今を送りたい。
たくさんの大切が増えていくからこそ生まれるこの怖さに震えながらしっかり生きていきたい。

僕らは生きているから咲き誇れるんだ。美しいんだ。


勝手にあともう数ヶ月は持つんじゃないかなって
思ってたんだけどな。
いなくなったから大切に思ってるんじゃないよ。
いなくなったからまた会いたいと思うんじゃないよ。

いなくなっても大切。

儚くなんかなかった人生。
いっぱい色々詰まってるよね。
でも、終わりは来るからね。
来てしまった終わりは美しい桜吹雪となれ。

ありがとね。げんきでね。
おいちゃんと二人仲良くね。
まだしばらくそっちには行かないからね。
どうぞ安らかに。

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