大丈夫に慣れる。

不安になりやすい人は、
大丈夫が足りてない。


大丈夫な感覚が足りていない。
大丈夫な情報に触れていない。
大丈夫というものにそもそも慣れてない。


実は、世界は大丈夫に溢れている。


例えば、毎日利用している階段が、
いつ崩れるかわからないと登る人はいない。
つまり、大丈夫だと無意識に信じているからだ。


普段歩いている道も隆起するとか思わないし、
外食でも、毒が入ってないかとは考えないし、
見ているテレビが急に爆発するとは思ってない。


もしかしたら、そんなことも起きるのかもしれないけど、基本的には大丈夫だと思って暮らしている。


つまり、


本当は大丈夫は日常に溢れている。
大丈夫は存在しているけど、
それをいつの間にか当たり前!
として、不安な方の情報を収集している。


今日まで生きてきたということは、
それまで、いろんなことがある中でも、
「なんとかなってきた」ということだ。


大丈夫だったから、今がある。


沢山の大丈夫を経験しているし、
大丈夫を示す情報だって沢山ある。



だけど、大丈夫よりも不安を探してしまうのは、
人間の生存本能として、危険を早い段階で見つけようとするからだ。



つまりは、不安はデフォルトで慣れ親しんでるが、
大丈夫は、デフォルトで忘れやすいということ。



それならば、積極的に
大丈夫に慣れ親しまないといけない。


大丈夫な情報に触れる
しくっても大丈夫だったことを思い出す
大丈夫という言葉よく使う。


バカバカしいけど、こういうことを繰り返していくことで、大丈夫が身近になる。


最近、置きっ放しをやめるべく、
「ぱなし」に気づく習慣をつけているけど、
本当に細かい「ぱなし」に気づく様になった。


大丈夫もこれと同じ様に、
しつこくその情報に触れようとすると、
身近なものであるということに、
感覚的に気づく様になる。



大丈夫の情報を拾える回数が増えると、
安心感が増えて体や心もゆるまり、
リラックスする時間が増えてくる。



身近な人が、
大丈夫感すごく強い人がいると、
安心感がでて伸び伸びと動けたりする。


それと同じように
自分の中に大丈夫の要素が増えて慣れてくると、
伸び伸びと出来る部分が増えてくる。


大丈夫だから、やってみよう! とか。


世界には不安な情報も大丈夫な情報も、
見つけようと思えばいくらでも見つけられる。



どっちとした親しみながらやってくのか。

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