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創部一年目のバスケ部を選び、スラムダンク奨学生で渡米。挑戦し続けるバスケ人生で学んだこと

スラムダンク奨学生としてアメリカに渡り、現在はアメリカのセントジョセフカレッジに通う酒井達晶さん(@ta2basketball)。北陸学院高校男子バスケ部一期生やアメリカへの挑戦など様々な困難にぶつかっていく酒井さんにインタビューしてみました。

小さい選手やこれからアメリカに向かおうとしている選手の励みになればと、これまでの困難や苦労から今現在振り返ってみての気持ちを語ってくれました。

「Control what you can control.」
 (自分がコントロールできることをコントロールする)

酒井さんが語ってくれたこの言葉。私も今後困難にぶつかったとき自分に言い聞かせて奮い立たせようと思いました。

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Player! 公式noteでは、「選手を応援する」という同じビジョンから、今後酒井さんのYouTubeでのインタビューをPlayer!のnoteでは文字版として配信していこうと思います。

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熱意と地元愛、「伝統を作る」情熱を持ち、創部一年目の北陸学院高校男子バスケ部に進学

全中出場した名門、布水中を卒業した酒井達晶さんは、たくさんの強豪校からスカウトされるも、地元石川県の北陸学院高校への進学を選択。酒井さんが入学する前年までの北陸学院高校は女子高だったため、男子バスケットボール部はなかった。

「北陸学院高校バスケ部現監督である濱屋監督の熱意にひかれ、さらに石川への地元愛から石川県のバスケを強くしたいと思っていました。そこで、大倉龍之介選手や布水中学校の同期、ジュニアオールスターで一緒にプレーした選手何人かに自ら声をかけて北陸学院高校に入学しました。」

伝統を作ると意気込んでいた酒井さんだったが現実は厳しいものだった。

もともと女子高だった北陸学院には体育館はあったものの、部費の獲得も自ら生徒会に話に行かなければならないなど、バスケの練習以外にもやることがあった。プレーでも中学のころから高校生とプレーしていたこともあり戦えると思っていたが、実際には中学と高校のカテゴリーの差を感じたと語る。

「入学当初、高校生は走って体を作って勝つという印象があったので、自分たちは高いレベルのバスケで勝とうと考えていました。しかし、身体能力の差、体力やフィジカルの差など、思っていた以上に中学と高校には高い壁がありました。」


小さいことを一つ一つ確認することで、他チームの気迫に打ち勝った

「3年生は引退もかかるウインターカップ予選は、3年生中心の他チームは気迫や最後の勝負所にかける思いが強い分、2年生チームの北陸学院は気持ちで押される部分がありました。」

そのため、酒井さんたちは練習中から細かいことを意識し、試合中にはハドル(短い時間出場選手で集まって話す円陣)を何度も組んで一つ一つのプレーや意思を確認し、他チームの3年生の気迫に負けないようにしていた。

小さいことを一つ一つ確認することが大事だと気づき、練習の方向性も変わりました。最初は他チーム同様に走る練習が中心でしたが、それに加えてもっと考えてバスケをする、細かいことを意識した練習を心がけました。他にはない新しいバスケを取り入れた練習を積み重ねたことが、ウインターカップ出場につながったと思います。」


濱屋先生と一から創り上げた歴史が財産となる

「正直な話、僕たちは1期生だったため、濱屋先生からバスケ以外の私生活の指導も厳しくされました。提出物の事など理不尽だと感じた部分もあり、食い違いや気を使ったこともありましたね(笑)」

しかし、1期生のころから濱屋先生がしっかりと指導をしたからこそ学校内でのバスケ部の評価はよく、今では全国常連の強豪となり応援されるチームに北陸学院はなることができた。

当時は、新しいことに挑戦する大変さや難しさを感じたり、他の同学年選手たちが活躍しているのを見て焦ったりと、苦しく感じることもあった。しかし振り返ると、北陸学院バスケ部で挑戦したかけがえのない経験が、酒井さんの財産になっていると言う。

「卒業した後の後輩たちが全国大会で勝ち続けている姿だったり、地元に帰った時に高校の先生たちが温かく迎え入れてくれたり、高校の時にできた人とのつながりが今になって財産になっています。大変な道を選んだけれど、自分がやってきたことが良い伝統となって後輩たちに受け継がれている姿を見ると、北陸学院で頑張ってよかったと思います。」


バスケットボールがコミュニケーションだった

その後、スラムダンク奨学生としてアメリカに渡り、現在はアメリカのセントジョセフカレッジに通う酒井さん。

「言葉が通じないから、バスケがコミュニケーションだった。だからこそバスケで結果を出さなければいけませんでした。」

英語の話せなかった渡米当時はコミュニケーションを取るのに苦労したが、遊びでも1on1をしたがるアメリカのバスケカルチャーの中で、バスケのプレーで心を交わした。

「遊びの1on1でもいかに相手を本気にさせるかを考えながらプレーしていた。自分は小さいからみんな舐めてディフェンスをしてくる、そこで3Pを連続で決めて本気にさせていました。そういう風にしてバスケで自分を認めさせていました。」

身長差や体格の差はあるけど、真剣に取り組めばできないことはないと酒井さんは言う。さらに、コミュニケーションで大事なのは「一緒に練習しよう!」と自ら声をかけて一緒にいること、そうすると英語も学べ友達もできると気がついた。

ときにはバスケのメンバー同士の日常会話を録音して辞書を使い勉強材料とするなど、自分ができることを考え、英語力を鍛えた。

まず日常会話で勉強することが大事だと思います。まずは言われたことに対して返す、周りの人たちの会話内容を理解出来るようになったら今度は質問をしてみる。自分が興味ある内容について質問すると話がしやすくなり、その中でわからない単語が出てきたらそれについて質問できるので会話が続くんですよね。さらにその次の質問や返しまでどんどん考えて置くことを積み重ねていくことで成長できると思います。」


「Control what you can control」

「アメリカに来て試合に出れない期間は本当につらくめちゃくちゃ心が折れました。朝走っている坂で泣いちゃうくらいうまく行かなかった。」

当時を振り返り今は笑いながら話してくれた酒井さん。しかしそこでなんでアメリカに来たのか考え、この言葉に行き着いた。

「Control what you can control」
(自分がコントロールできることをコントロールする)

「結果が出なくても自分を成長させるしかないと思いました。もがき続けることが大事だと。テストが迫る時期でも一人で朝練に行き、勉強も授業でしっかりやりました。しっかりとコミットし続ければ結果は出ると思ってたし、自分がコントロールできることをやろうと思っていました。その努力を見てくれてる人がいて今があります。」

今までも結果が出ないときには、この言葉を自分に言い聞かせている。


アメリカに来て本当に良かった

「試合出られなかった1年目の期間がつらかったです。日本に戻ってプロに入る選択もあった中でアメリカの大学を選んだだけに焦りました。1年やって日本に帰ろうかと思ったこともありました。」

お金を払ってアメリカにきているからそれに見合う何かを得ないといけない、そう思うほど試合に出られない時期は、本当にアメリカにいる意味があるのかと葛藤した。

しかしその焦りも、試合に出られるようになることでなくなっていった。

2年目には新しく学んだ戦術を使い手ごたえを感じ、加えて日本でバスケをプレーする人たちは知らないことにも気づくことができた「今はアメリカに来て本当によかった」とアメリカでの充実感を語ってくれた。

「このコロナ期間では、日本に帰らずアメリカで自分と向き合う時間が増えました。考え方や人とのつながりが広がるようになり、時間をうまく使えていると感じます。何事も振り返ってみると良かったと思います。」


さらに夢を広げる挑戦、YouTubeを使った発信へ

もともとバスケコーチになるという夢や、地元のバスケを盛り上げていきたいという想いがある酒井さん。さらにこのコロナ期間で、コーチという夢からさらに視野を広げているようになったと言う。

「今はこの1年間でアメリカにいる自分だから伝えられることを発信していきたいと思っています。少しでも日本人選手たちがアメリカに挑戦するきっかけになりたいし、僕のように身長が小さい選手の励みになりたいんです。

いま準備しているのは、YouTubeを使った発信。Vlog(ビデオによるブログ)でアメリカの生活を知ってもらい、アメリカ留学挑戦へのきっかけづくりや、これから挑戦する選手の心の準備になればと思う。

「さらに、アメリカで頑張っている様々な選手たちと対談をすることで、役立つ情報や頑張っている選手たちの現状を知って欲しいと思っています 。大学に動画の許可をもらっているので、試合の裏側や試合後の様子も届けられたらと思います。」


大切なのはバスケに真剣に向き合うこと

最近はスキルが高くシュートも上手くディフェンスできる選手が多く、さらにアメリカでは背が高くてそれをやる選手がゴロゴロいる。

「今やっているのは状況判断をめちゃくちゃよくすることです。自分みたいな小さい選手が活躍するには、状況判断の練習を心がけることが大事です。さらに、日常から自分が正しいと思うことをしっかりと選択することが、バスケの試合中の状況判断につながってくると思っています。」

アメリカに行けば背の小ささや日本人だというハンデがある。しかしバスケを通じてコミュニケーションを取ることで、相手はわかってくれると酒井さんは言う。

「大切なのはバスケに真剣に向き合うことです。いまできることに真剣に向き合えば、必然と周りとの関係も良くなるし、自分自身も成長していくと思っています。」

Control what you can control. 酒井さんの挑戦は続く。

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