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インプロに出会ったことで会社員からCEOになった人の話

インプロに出会ったことで人生が変わった人がいる。
僕もその一人だ。
インプロに出会ったことで、より自由になったし、考える前に行動するようになったし、自分がワクワクする方向へとどんどん進んで行けるようになった。

ちなみにインプロとは即興芝居のことだ。
これから起こること、やることが何も決まってない中で、演じながら物語を作っていく。
まさに、人生そのものなのだ。

インプロの中には、面白いものとそうでないものがある。
それは、プレイヤーがワクワクする方向に進んでいるものか、そうでないものかで分けられる。当然前者の方が面白い。
これは人生も同じだと思う。
そして多くの人が前者の人生を歩みたくても歩めずにいるとも思う。

なぜなら、そこに恐れがあるからだ。
未知へ進んでしまうこと、変化してしまうことが怖くて、ついついいつものパターン、道を繰り返し歩んでしまう。
そのループを変えるためには、未知に進んでも、変化しても、全然平気だし、むしろ面白いんだということを身体で実感する必要がある。
それをさせてくれるのがインプロであり、学んでいくことの意義なのだ。

そして、インプロによって人生が“大きく”変わった人が、僕の身近に一人いる。
今回はその人を題材に書いてみようと思う。

彼女の名前はもりじゅん。インプロに出会ったことで会社員を辞め、現在ではインプロ専門の研修会社「フィアレス」(Fearlessとは「恐れがない」という意味です)のCEOを勤めている。
ちなみに出会った当初(6年前ほどになる)は「めろ」と呼ばれていた。
大学時代のミュージカルサークルでの、皆に変なあだ名をつけるという変な風習でつけられたものを、そのまま使い続けていたらしい。
だが、会社を経営するようになってから、彼女は自分で「もりじゅん、と呼んで欲しい」と言うようになり、呼び名が変わった。
この変化そのものが、彼女の人生が変わり切ったことを示しているような気もする。

コロナ禍に世界が飲み込まれる1年前。彼女は僕の家の近くに住んでいたこともあり、よく一緒に宅飲みをしていた。
当時の彼女は、僕のインプロワークショップによく通ってくれていた。当然まだ会社は辞めてはいない。
とても陽気で、悪くいえば軽率な人で、中学生女子が着るようなジャージを稽古着にしているような子だった。元カレからディズニーランドでもらった「ライオンキング」のシンバのぬいぐるみも捨てられずにいるらしい。今はもう捨てたのかな?
そんな彼女の宅飲みでの口癖は「会社辞めてえええ!!!」だった。

「そんなに辞めたきゃ辞めりゃあ良いのに」と、最初は笑ってやり過ごしていたが、あまりにも毎回言うので、しまいには「早く辞めろよ」と一蹴するようになっていた。
「インプロで言ったら、進まなきゃいけない、変化しなきゃいけないタイミングなのに、いつまでもぐずぐず言ってるようなものだぞ?」「うわあああ!そうだよねえええ!!??」と、インプロという共通言語の中からあの手この手で例を出しながら、毎回のように彼女に言って聞かせていた。週2くらいでは飲んでいたと思うので、まるで説法を寺に聞きにくる前科者のようだった。
僕はインプロに出会って半年で自分の劇団を作った。日本初の学生インプロ団体の「劇団しおむすび」という劇団だ。
まだ学びたての半人前、自分をインプロバイザーとすら呼べないような時に立ち上げたのは、ただインプロをやる場が欲しかったからだ。
今考えてもあの時の決断と行動は大胆なものだったと思うが、人間経験を積めば積むほど、先読みが出来るようになってきてしまう。
「だから、何事も動くには未熟な時の方がいいんだよ。今が一番若いんだからね」
そんな話を聞きながらも、彼女は決断し、行動することを躊躇し続けていた。人間の安定志向がどれほど強いかがよくわかる。

そんなことが半年間は続いた。
彼女は相変わらずワークショップに通いながら、週に2回の説法を受け続けていた。
インプロを通して身体から学び、説法によって耳から学ぶ日々だった。

そして、その時は唐突にやって来た。

「会社辞めました!!!」
というLINEが急に届いたのだ。

僕はすかさず「おめでとおおおおお!!!」と返信したが、さすがの急さに驚いた。
でも、人が行動する時というのは瞬間であり、その瞬間の衝動は突然やってくるものだ。
彼女はその衝動を逃さなかったようだ。ここまで半年かかった、いや、実際に会社を辞めようとしてからを考えると1年以上経っているのかもしれないが、いざという時に思い切って行動した彼女は、インプロを指導し、説法を聞かせ続けた身としては自分のことのように嬉しかった。

こうして、半年間にも及ぶ戦いが幕を下ろした。
ここからはどんな世界が待っているかはわからない。でも、未知への恐れを克服した彼女にとって、何も恐れることはない。
彼女の戦いは、これからも続く。忍翔先生の次回作へ、ご期待ください。

…そして時代はコロナ禍へ突入した。
僕はこの年、ワーホリでカナダに飛んで、劇場で1年間のインプロ修行をする予定だった。
だがもちろん渡航は中止となり、半年近くかかった面倒なワーホリの手続き申請はパーとなってしまった。
さらにそれに伴い、4年間住み続けた家の契約も切っていたため、新年度から家なしになってしまう僕は、活動拠点である東京を離れ、一時的に実家の名古屋に戻ることになった。
栄という繁華街のど真ん中にあるマンションに引っ越したのだが、それまでは人で賑わっていた街も人っ子ひとり出ていない、なんとも寂しい風景と化していた。
「世界よ、変わりすぎだぞ」と、僕はマンションの窓から、誰もいない夜の街を眺めながらしみじみ思っていた。

だが同時に、今まで全く体験したことのない新しい世界に、これからどんなことが起こるのか、何が出来るのかと、ワクワクしている自分がいた。
世間は未知の脅威への対応に追われ、仕事もなくなったり、実際にコロナになってしまったりで大変そうだったのだが、僕はインプロをやっていたことで、こういうカオスな時こそどう楽しむか、その中で何が出来るか、どう行動するかを考える思考回路になっていた。
これが、インプロバイザーの為せる技なのかもしれない。

僕はいち早くZoomに手を出し、インプロで出来ることを探求していった。
毎日のようにパソコンの前でインプロをしまくって、ワークショップやパフォーマンスなど、今まで対面でやってきたことを、オンラインでやるとどうなるのか、オンラインでやることの面白さはどこにあるのか、やりながら発見していくことにした。
そして、その年のゴールデンウィークに、僕は「オンラインインプロフェス」を開催することにした。

オンラインだからこそ、今まで繋がることが難しかった地方の人たちとたくさん繋がることが出来たので、この機会を生かさない理由はなかった。
だが、大きな企画をやるとなったら、その分一人では抱えきれないものがある。
特に事務系の仕事は僕の苦手中の苦手だ。
数学科にも関わらず、エクセル上では足し算と引き算しか出来ないし、ドキュメントやスプレットシートなど、Googleが誇る便利ツールは僕のパソコンのディスプレイ上では本当のディスプレイとして、保存状態良好のまま展示されて続けていた。
こういった作業に秀でた、企画の制作をやってくれる人が必要だった。

そこで、僕は彼女に、めろに声をかけた。
その時の彼女は仕事がないので、お金を無駄使いしないためにも、実家の静岡に戻っていた。
どうせ暇だろうし、仕事も欲しかろうと思って話してみたら、速攻で「やりたい!!!」と返ってきた。
どんなことをやるのか、どういう風に進めていくのかわからない、見通しの立たないことにも関わらずの二つ返事。この時、既に彼女も立派なインプロバイザーになっていたのかもしれない。

その見込みは的中した。
あくまで個人的な観点だが、演劇の制作さんにはなぜか病んでる人が多く、僕はそのことをあまり好ましく思っていなかった。
だが、彼女は豊富な社会人経験で仕事も出来たし、持ち前の明るさと人懐っこい性格は、どこか寂しい世界の中で行う仕事を潤してくれた。
彼女自身も、今までやったことない仕事をやれることにワクワクしているように見えたし、一緒に仕事をするのはとにかく楽しかった。

そして僕は「アシスタントにならないか?」と彼女に依頼した。
決まった収入のない彼女に、少しでも仕事をあげたいという気持ちもあったし、どこか会社を辞めさせた責任感も感じていたので、助けになれることならしてあげたい気持ちはずっとあったのだ。
それに、今回の彼女の仕事ぶりとやりやすさが僕の予想以上だったこともあり、これは単なる同情心での依頼にはならなかった。
彼女はまたも「やりたい!!!」と二つ返事で引き受けてくれた。彼女はもう、思い切った行動をすることに躊躇はなくなっていた。

そこから新たな展開が生まれてきた。
僕の友人のインプロバイザーが、オンラインでの指導をメインにしたインプロスクール「インプロアカデミー」を作らないかと僕に声をかけてくれた。
ワクワクを刺激された僕は二つ返事でOKした。すると「事務をやれそうな子、知らない?」と追加で聞かれた。
当然僕の頭には、めろが思い浮かび、即推薦し、彼女にも声をかけた。当然彼女も即決だった。
このスピード感はわずか半日で起きた。この速さはインプロバイザーならではかもしれない。

先述した「フィアレス」という会社も、そのスクールの延長線で生まれていって、彼女は当初、立ち上げメンバーの一人だった。そして後々CEOの役割を引き継ぐことになる。

その話が出始める時くらいに、僕は彼女に「アシスタントを辞めないか?」と提案した。

この時の彼女は、久しぶりに躊躇をした。
だが、既に彼女は自分だけの道を歩み始めている感じがしていたし、もう僕の横にいる必要もない気がしていた。
そのことを伝えたら彼女は涙し、僕の提案を受け入れた。
「今までありがとう」とお互いに伝え合い、その後はこれまでと同じように飲み明かした。
オンラインなので、顔だけ見える宅飲みだが、横で一緒に飲んでいた時よりも、彼女の存在感の大きさを感じた。

そこからしばらくして、彼女はインプロアカデミーも辞めた。
その時も彼女は涙していたし、他のメンバーも泣いていたのだが、僕だけは笑っていた。
もう彼女は、ワクワクする自分の人生を、自分の選択で選び、歩めるようになっていた。
妖怪・口だけ辞めたい女だった頃を考えると、とんでもなく大きな成長だ。

そして、2024年現在。
彼女、もりじゅんは、インプロを世の中に広めるという大きな使命を持って、小さな身体で会社を動かしている。
今では宅飲みを週2で出来るほど暇ではない。せいぜい半年に1回会う程度だ。
時々彼女はこんな話をする。

「会社辞めたい辞めたいって言ってる友達がいるんだよねえ。さっさと辞めればいいのにね(笑)」

僕が全く同じことを彼女に言っていたのは、わずか5年前の話だ。

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