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「舞台上では不安定であれ」 無料塾経過レポート(〜19時間)

今日はモノローグの一次発表会。「モノローグ集「穴」」からそれぞれが選んだモノローグを順次発表する。

人によって完成度に差が見えた。一人突出して完成されていた。その子は準備も十分に出来ていたし、モノローグへの想いも強かった。それがそのまま結果として現れていたと思う。この経験を経て、皆が次回何をどう持ってくるのかに期待。
あまり「想い」という目に見えないものについて言及したくはないけど、実際のところ、俳優自身が作品に対してどう想っているのか、何にこだわっているのかは、表現されるものに影響する。
俳優自身が何を見せようとしてるのか、観客に何を持って帰ってもらいたいのか。それが具体的にあるのかどうか。漠然としていると漠然としたものが伝わるし、逆もまた然り。だから俳優は作品に対する思想を持つべきだと思うのが僕の考えだ。

日本では俳優と演出家の関係が、残念ながら対等になりきれていない。悪しき慣習が引き継がれてきてしまっていることから、演出家が上で、俳優が下という意識が双方に根付いてしまっている。それによって作品に対する意識にも差が生じてしまうことがある。俗にいう「俳優をコマのように動かす演出家問題」と「演出家が決めてくれるまで動けない俳優問題」である。
モノローグは全てを一人でやらなければいけない。演技も演出も両方やる。そうなると作品に対する全責任を持つ必要が出てくる。そこに対する認識で、まあ今日始めてではあったが、人によって差が出た。

とはいえ安心したのは、皆言ったことはやってくれるし、変化の兆しが見えたことだ。これは非常に重要。ダメな俳優は「とりあえずやってみる」「自分の表現を大きく変えてみる」ことが出来ない。変なプライドがあるのかなんなのか知らないが、これは単に能力がないだけだと思う。皆がそうじゃなかったから良かった。
そして指導を入れたことで、大きく変化した人も見られたことも良かった。前後で演技が大きく変わり、面白さが格段に上がった。やはり演技はその人自身の延長にあるのだと思った。

特に今日の演技では、Vulnerablity(傷つきやすさ、影響の受けやすさ、揺れやすさ)の重要性がはっきりした。安定してる人よりも、不安定な人の方が面白いし、ドラマは不安定さから生まれるものだ。しかし、ほとんどの俳優は舞台上で安定してしまう(硬直と言っても良いだろう)。ちゃんと演じることに必死になってしまい、自分で自分をコントロールしてしまう。だが、それが出来ていない状態の方が興味深いのだ。
クラウンでの学びがここに繋がった。何かをやろうとしている状態ではウケないが、その何かを手放し、どうなるかわからないところへ飛び出すとウケる。いわゆるクラウンステイト(状態)でいられている時の方が、結果として演技としても魅力的になった。今日でそこが繋がったことは大きな一歩で、ここから引き続き学ぶクラウンへの意識も大分変わる気がする。
全ては繋がっている。舞台上で自由に演じるために。


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