見出し画像

情報を受け取るための知的能力がない人達のこと

10年前のある夜、俺はネットニュースである記事を見かけた。

それは今で言うところのセルフネグレクトについてのルポルタージュ記事だった。40代の働き盛りの男性がセルフネグレクトに陥り、ひとり住まいの部屋がごみ屋敷になっていき、福祉も拒否して死人のように孤独に生きているというものだった。
疎遠となった親族が手を差し伸べようとしても拒否し続けていたが、あることがきっかけで病院での受診や生活保護の手続きを開始することができたという。

「刺激が強いけれど、これはあの人にとって参考になる記事かもしれない」
そう思った。

その頃、知人女性の父親がセルフネグレクトとなっているという話を聞いていた。早くに両親が離婚し知人女性は母親と暮らしてきたが、父親は50歳ほどで重いうつ病になった。警備員の仕事を辞め、家賃3万円のボロアパートにひとりで暮らしていた。部屋の中ひどいごみ屋敷。その中に埋もれて一日中寝ているらしいということだった。

生活保護も受けていないし、病院にもかかっていない。だから当然、障害手帳も障害年金も申請していない。いったいどうやって生きているのか。

疎遠となった父親の話だけれど、心配なら福祉の手を借りた方がいいよと俺はアドバイスし、必要なら一緒に支援センターなどに付き添うよと何度も話をした。
「でも、DVの末に捨てられた父親だし、頼まれてないし」と知人女性は言う。

「でも心配だから俺に話してくれたんだろ」

「そうなんだけど・・・心配の仕方がよく分からなくて。手を差し伸べるべきなのか放っておくべきなのか」

「こうして話しているということは、放っておけないはずだよ」

「そうだね・・・」

気持ちが複雑なのは分かる。でも家族なのだから心配じゃないわけがない。もちろん俺が無理やり行動させるのはおかしなことだ。俺ができることは情報を提供して、この知人女性に知識を持ってもらうことかなと思った。

うつ病についての本を何冊か買ってプレゼントしたり、近隣の病院について調べたり、疎遠となって介護が必要となった家族への接し方について書かれた本も見つかったので手渡した。

だからといって、知人女性が父親を見捨てることにしたと言っても、それはそれで俺は受け入れるつもりだった。本人の判断だ、俺は強制できない。

しかし知人女性はそれらの本や情報に目を通していないようだった。

俺が色々調べものをしていることについて彼女は言った。
「アキラって調べものが好きなの?」

好きでやっているわけじゃないだろと思った。何を言ってるんだこの人は。

まあ、現実に向き合いたくない気持ちもあるよねと俺は思って見守っていた。それでも父親の状況や、自分の不安感を俺によく話してくれていた。

そこで俺が見つけたネットニュースは彼女にとって役に立つもののはずだった。
かなりのヒントがあると思った。
でもショッキングな描写があり、かなりリアルなものだったので、これを彼女に教えるのはどうかと躊躇した。それでも教えることにした。

「これね、結構ショッキングな内容で教えるか悩んだんだけど、もしよかったら役に立つかと思って」
俺はそう言った。

「えーショッキング?すごい、どきがムネムネ~」

は?と思った。こちらは心配して色々調べている。茶化すようならやめようかなと思った。

そこから数日が過ぎた。

結局のところ何の感想も言わない。やはり読んでいないのだろう。
本人の気持ちもあるだろうし、これでこの話題は止めようと決めた。

しかし、会うたびにまた父親の話をする。共感をすればいいのか、何か解決策を一緒に考える方がいいのか、分からない。

「この前のネットニュースは読んでみた?」俺は質問してみた。
「え、どれ?」
やはり読んでいなかった。
これはもう、共感というか、話をうわべだけで合わせておけば十分なのだろう。そこからは解決策を一緒に考えることはやめ、どんな話を聞いても俺の返事はワンパターンになった。

「それは大変だ」
「心配だね」
「それは厳しいなー」
「うーん」

そのうち、彼女の父親は福祉の支援の手が届く前にアパートで孤独死をした。6月に亡くなって、発見されたのは9月。真夏の気温で腐乱し身体中の脂が床に染み出して悪臭を放ち、近隣住民の通報で発覚したという。脂が床下のコンクリートスラブにまで染み込み、臭いを除去するのは不可能になったということだった。死因が何かなど分からないほどに溶けて、部屋の中にはウジとハエが沢山いた。

それを本人ではなく、違う知人から聞いた。
俺がそれを聞いてどう思ったかというと、「だから言っただろう」という気持ちと、「まあそうなるべくしてそうなったのだろう」という気持ちとふたつあった。
あとは、変なことに親身になって、結局何もできず最悪の事態になったなというところ。

知人女性も何もしないなら相談するなよなと、少し憤った。

しかし後になって気がついた。

違う、そうじゃなかった。
知人女性は、「知的な情報」を受け取る力が皆無だったのだ。

知識や情報を誰かがシェアしてくれようとしても、それを受け取るためには知性が必要だ。

たとえば、「この前、話していた相続税の税率のこと、調べておいたからURLを送るね」とか、
「このYouTubeの動画、すごい面白かった。今度見て」とか、
「このブログは気づきが沢山あった。シェアするね」とか、
そういう情報をシェアしてもらったときに、どうしたらしいか分からなくなるのが知的に少々難がある人なのだと思う。

「宝くじが当たる方法を知ったから教える」
「この住宅展示場に行けばタダで焼きそばがもらえるから教える」
という馬鹿っぽい情報ならばすぐに受け取れるだろう。
でも相手の知的好奇心や、自分が抱える問題の解決に役に立つ情報や、感性や感受性に関わる情報についてシェアされても、なぁぜなぁぜなのだ。ポカーンでしかない。

腹が減った時に魚をタダで貰って喜ぶ人と、魚が釣れるスポットを教えてもらって喜ぶ人といる。頭が悪いと、腹が減ったと言うだけだ。魚が欲しいとすら言えない。
川のこの場所に行くと今すごく釣れるよと情報をシェアされても、「すごい!どきがムネムネ~」しか言えず、かと言ってその場所に行こうという動機にはならないわけ。

そんな知的能力では、絶対に親友はできない。深く付き合う魅力が皆無だし、メリットも感じられないからだ。

結局俺もその女性のことは「バカ」の烙印を押し、知人であることすらやめた。俺にメリットがないし、魅力もないということだ。

ではあの時どうしたらよかったのか。その女性としては、他人の俺がお金と時間と手間を出してくれて、何もかもお膳立てし、何なら介護費用も出してほしかったのだろうと思う。
だから病院に言って診断書を貰い障害年金を申請したら、それなりのまとまったお金を受け取ることが出来ただろう。生活保護と異なり車も売らなくていいし、どんな生活をしていても自由でメリットがある。そういう話を何度もしても、ポカーンだったのだ。

俺としては、渡した情報を読んでいないことが分かった時点で知人女性を疎遠にすべきだったのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?