【プロローグ】伝説から神話へ…山口百恵

 ダダダ・ダダダ・ダダ……、あの畳み込むようなリズムの連鎖、突然のサビ、聞くものに稲妻を走らせたのが《横須賀ストーリー》である。繰り返される不意打ちの「これっきり」は印象的。飛ぶ鳥を落とす勢いの百恵はまさに1970年代を駆け抜けていった。《横須賀ストーリー》は百恵が好んだ1曲でもある。
 山口百恵は「私の分身」と自らの楽曲を称したが、時として天と地、或いは光と影ほどに性格を異とする分身達の中でも取分けこの分身は色っぽい。そのクセ純白に身を纏い、淡々と歌うのだから憎い。百恵の淋しげな、全世界を掌握した瞳は私がブラウン管の前から動くことを許さず、百恵から溢れ出る表現の波は私を包み込んだ。《横須賀ストーリー》での百恵の表情は実に豊かである。目線を逸らしたかと思えば、フッとこちらを見やる。その瞬間、国民の心をグッとつかみ、ハッとさせる。そんな百恵に「ほの字」になってしまった日本男児が世にどれだけいたことか。後の夫・三浦友和に恨みを抱いた日本男児がどれだけいたことか。そして、ここまで目線で人々の心を射止める歌手が他にいるだろうか。流石は女優業もこなした百恵。天は二物を与えないというが、どうやら百恵にはその道理は通じ無かったようだ。歌や演技だけでない、その信念すらも国民にとっては驚き桃の木山椒の木。そう、恋人宣言や結婚・引退宣言はまさに青天の霹靂。「ああ、百恵ちゃんが引退するのか…」と世の末を感じた人間も少なくは無かろう。それだけではない。百恵は引退後に一切カムバックしていないのである。信念の強さには本当に脱帽だ。
 その引退を目前にしたさよならコンサートでは「横須賀」の歌が多く歌われた。もちろん「これっきり」ソングも。百恵を生んだ横須賀、百恵が育った横須賀。横須賀が百恵にとり如何なるものであったかは想像できかねる。しかし、横須賀の歌を歌う百恵にはなにか言葉では言い尽くせぬ輝きがあった。他は輝いていなかったのか。いやいや、さよならコンサートほど粒ぞろいの名曲を集めたコンサートは無かろうぞ。伝説の歌姫はまさに有終の美を飾ったのである。
 百恵の引退から幾星霜。未だに新発売される百恵関連商品は、まだまだ百恵ここにありと云わんばかりに店頭の一角にその身を置いている。そして《横須賀ストーリー》をはじめとした分身達が
今でも百恵の魅力を発信し続けている。

 この場では、山口百恵をはじめとした昭和ポップス、平成以降の音楽シーンを彩った女性グループアイドルに関して、クラシック音楽や古典文学などに関して、心にうつり行くよしなしごとを徒然なるままに書きつくしていく。


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