第2回 「トレーナー」になった日
今回は「トレーナー」について話したいと思います。
フィットネスブームである昨今、トレーナーというワードも浸透、またトレーナーという職業の方が増えてきました。
それだけ多くの方が体を動かすことに興味を持ったということですね。
僕がいわゆる「トレーナー」という形でアスリートを診ることになったのは、2004年のことでした。
ある青年(当時18歳くらい)が、
「世界で戦いたい、戦える選手になりたい」
と、やってきました。
その当時の自分はというと多くのアスリートを診てはいましたが、実際ひとりのアスリートと向き合って診ることはしてませんでした。
なので、自分の経験だけで指導していたような気がします。今考えれば、とても怖いことをしていたし、トレーナーとしてはダメでした・・・
でも、彼の目標を叶えるべく、我武者羅になってやってました。
時には、ぶつかることも・・・
そこから10年が経ち、その青年が「世界の舞台」へ行ったのです。
10年一区切りとは言いますが、これほど長くひとりのアスリートと共に歩めるということは、とても素晴らしいことです。
アスリートの寿命というのは長くはないですが、これからもひとりでも多くのアスリートと長く共に過ごし、嬉しさ・楽しさ・悔しさを共有していけてらいいなと思います。
次回は、トレーナーという職業についてお話ししたいと思います
広崎 哲也/Tetsuya Hirosaki
鍼師・灸師・あんま・マッサージ・指圧師
明治大学柔道部トレーナー(2002)
NTT -G Fukuokaラグビー部トレーナー(2003〜2013)
日野RedDolphinsラグビー部トレーナー(2014〜2016)
SuperFormula トレーナー(2013〜)
ボディケアマネジメント講師
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