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毒母、本領発揮する

「こちら、◯◯病院ですが、鴨野様宛にお電話しております……」

携帯電話を自分のデスクに置いたまま、別室の会議に参加して2時間後。
自分の席に戻ると、着歴が5件残っている。いずれも、父が入院している病院からだ。

入院をする際に必要な連帯保証人として、わたしは自分の電話番号を病院に伝えてあった。母への電話ではなく、その連帯保証人のわたしに電話があるということは、父に何か急変があったのか?

慌てて病院に電話をする。こういうときは毒親といえども、なにかあったのか?と考えると心臓はドキドキしてしまう。
一方で、病院に今すぐ行くことになったら仕事を誰に割り振って、とか。明日の会議は仕切り直しか、それとも代打か。などなど、冷静に仕事のことについて考えてしまう。

病室担当のナースステーションにつながると、電話をかけてきた看護師があのー、大変申し訳ないのですが、と切り出した。
「お父様には問題がないのですが。あの、お母様が……」
ん?
「お母様へお父様の生活態度をおうかがいしたのですが、お母様のお話がまったくわからなくて。今後の治療方針に関して話が進まないんです」

ああ、でたか。母の毒親っぷりが。

一見、毒親には見えないのだが.....

母は外面はいい。わたしの友人にも、そして夫の両親にも「お母さん、きさくでがんばっているひとで、いいひとよね」という評価を得ている。そんな母は、いろんな人にプレゼントを送りまくる。お中元、お歳暮だけではない。だから、母が毒親なのだといってもだいたい信じてもらえない。「(お母さんが毒親なんて)思いすぎだよ」「お母さんも疲れてるんだよ」「お母さん、決して悪い人じゃないと思うけれどな」

残念ながら、他者へのプレゼントは、余剰のお金で買われたものではない。母は自分の生活が苦しくなろうとも、プレゼントを送る。父が現役のときは仕事相手へ。それは退職して終わることはなく、退職後も。「あのひとはいつもよくしてくれるから」それだけのために相当なお金を費やす。

お金は無限ではないのは自明の理だ。足りなくなった場合の資金源は、どこか?

子供だ。子供である、姉・兄・わたしへの無心へ向かう。

その場合も用意周到だ。わたしたちにも勝手に大量のりんご、梨を送りつけてきてから、「あんた、悪いんだけれどさぁ。お金がないんだよ」と無心の電話をしてくる。受け取ってしまった以上、「払えない」とは言えない。仮に、「いや、無理だよだせないよ」といえば「あんたたちのためなのに!」「いつもわたしばっかり苦労して」「こんな生活したくない」「お父さんのせいでいっつもこんな役回りで」と電話で泣きつく。こちらが少しでも「ほんとうに無理だって!」とむくれた声を出そうものなら、じぶんの思い通りにならないことに怒り、逆ギレする。

その行動の奥にあるものはなにか? それは、母の「褒めて欲しい」という承認欲求。夫にも認められない、姉妹からも認められない。でも自分の頑張りを認めて欲しい。夫が長生きしているのはわたしのおかげなんだから褒めて欲しい、と。だから母はつねづね「お父さんが長生きできるのはあたしのおかげだ」「前よりずっとよくなったのは、あたしのおかげだ」「あたしに感謝しろ」と口癖のようにいう。

かといって、母は責任をとる姿勢を見せるわけではない。むしろ、「自分のせいになる」ことを極端に毛嫌いする。意思決定は自分で行おうとしない。父の入院は「病院が言ったから」。精神科へつれていくは「あたしはいきたくないけれど、娘がいったから」。事故にあった母に支払われた保険金で、新車を買ったのは「お父さんが買いたいっていったから」。少しでも「母が悪い」「母の行動に問題がある」というような発言を匂わせると、途端に顔が豹変する。

母の承認欲求は、自分を褒めてくれるひとには徹底的に甘くなり、優しい顔を見せることへ働く。だが、自分に対して正論を言う人、自分の価値観を認めない人、自分の思い通りにならないひとに対しては無視、さらには攻撃へと向かう。「わたしの領域をおかす人間は、聞く耳をもつ相手とはみとめない」それが母の行動パターンだ。

そんな母に対して、看護師が「話がすすまない」と嘆いている。ということは、看護師は正論をいい、母の攻撃にあっているのだろう。まずったな、先に母の気むずかしさを伝えておけばよかった。

わたしは頭の中で「母対応マニュアル」を作成し、どう看護師に伝えるかと考えながら電車で病院へ向かった。

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