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病院は先生が紹介してくれるから?

訪問看護導入を決めた医師との面談の後。退院後の生活のプランを作るコーディネーターとの面談があった。もちろん、母も同席だ。

コーディネーターには、父は東京の病院に3ヶ月おきに受診しにきていること、足腰が悪く、歩きにくくなっているコト、さらには認知症の疑いもあることを伝えた。この場でも母は「いかに自分が父の世話をがんばっているのか」「どれだけ大変なのか」を切々と訴えた。

ふんふんと聞いた後、それならば地元の病院にしたほうが…、とコーディネーターが言い始めたその時。母は、「いえ、この病院がいいんです」「わたしが頑張ればいいんです」といままでの泣き言をくりかえした。コーディネーターの眉間にしわが寄った。「え?  でも(通院)大変ですよね」「それでも、ずっとお父さんはここに通っていたんです。わたしがやってきたんだから」

横にいたわたしが「地元のほうがいいんです、母ひとりで東京に父を連れて来るのははもう限界です」と言ったとたん、「わたしのいうことを聞いてよ!」と金切り声をあげる母。そして「うちの近所の病院は信用できない」「東京のこの病院だからお父さんは生きられた」「(お父さんは)40歳までには亡くなるっていわれてきたのに、わたしが頑張って世話してきたんです」「お父さんがここがいいっていってるんだから」「こんなすごいいい病院は他にはない」と病院を褒め称えはじめた。

さて、病院はどちらの意見をとるのか?

常日頃、父の世話をしている母に軍配があがった。いろんな手配を子供がしていても、お金をだしているのが子供であっても、「世話をしているひと」の意見が重視されるのだ。

だが、妥協点として訪問医の導入が提案された。高齢者は体調の急変が起きやすい。その「なにかあったときに」近所で緊急対応ができる体制を整えることは必須なのだ。仮にこのまま東京の病院だけをかかりつけにしていたとしたら、急変時に救急車で東京まで1時間以上かけて父を運ばなければならない。いや、それだけではない。救急車で県境をまたぐことができる可能性だって低い。

「かかりつけ医をかえるわけではないけど、いざというときのために近くに医師がいたほうがいいです」というコーディネーターの言葉を受け、母はその場では「はいわかりました」と神妙に答えた。だが、看護師との面談後、さてどこの訪問看護と病院にしようかと母に話したら、

「先生が紹介してくれるんじゃない?」

いくらなんでも大学病院の先生が埼玉のはずれの町の訪問医をやっている開業医や訪問看護のことを知っているわけはない。そのことを母にいくら説明しても「だって(外来の担当の先生は)慶應なんだからさ、慶應卒の開業医ぐらいしってるでしょう」

らちがあかない。
ひょっとしたら医局制度がしっかりとしていたときはそういう話もあったのかもしれない。だが、今は違う。地元の情報は、地元の人が一番知っているのだ。にもかかわらず母は頼れるはずのない医師に頼ろうとしている。

母に話してもらちがあかない、と思ったわたしは即座にケアマネジャーに電話をし退院日の目処、そして、退院後に必要なサービスを説明。幸いなことに、訪問看護はケアマネージャーが手配してくれるとのこと。父の介護度4が影響しているようだ。

問題は訪問医だ。母に任せると「あそこはやぶで」「あそこは◯◯さんがいっているからいや」といやいやばかりで、地元の病院のことを話したらがない。しかたがないので「実家からタクシーでいける距離」「糖尿病内科」「訪問医」に該当する病院をインターネットで検索。

すると、ないのだ。びっくりするほど、病院がない。2つしか該当しなかった。

恐る恐る1つめに電話すると「事情は理解できるのですが、訪問医の距離としては、実家はちょっと遠い。それに、医師の訪問診断は通常病院で診断を受けているかたが優先です」ということでOUT。やはり、通常の診断なしで訪問医だけ頼むっていうのは都合が良すぎる話だしなぁ。と反省。

2つめのところに電話したときも同じように「訪問だけでは…」と断られる雰囲気がでてきてしまった。そこで、「今はまだ東京の病院ですが、近々かかりつけの病院を地元にしようと思っているんです。訪問看護も導入しますし」と話を転換。それならば、ということで今のかかりつけの病院から診断書を持ってきてくださいと言われて電話が終了。

母のイヤイヤに付き合っているばかりでは、コトがすすまない。なので、「かかりつけ医は変えない」ふりをして、実際には変えるための準備を粛々とすすめた。

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