キリの良さにお金を使われる人へ
こんばんは。
大したことじゃないんだけど、お金の話を1つ。
一般的にお金というのは通貨としての価値しか持たないため、紙幣自体には何の価値もない。
そして我々はそのことを潜在的に認識した上でこの貨幣経済下で生きている。最近では電子決済やらでキャッシュレスが増えたけれども、まだまだ現金を使う機会はそれなりにある。
さて。
町でお金を使う際に、私の中でちょっとした規律というか、癖というかよく分からないムーブがある。
それは「キリ良く使うこと」。
あまり意識をしていないんだけども、どうやら私の根底にある意向によって、なるべくキリの良いお金を使い方をしているようだ。
例えば。
千円札を持って古本屋に行った場合は、どんなに欲しい本がなくても100円の本を10冊買うようにしているのだ。お金の使い方としては8冊買って800円を支払って200円をお釣りとしてもらう…といった会計でも良いんだけど、なんでだかなるべく財布の質量を軽くしておきたいんだという衝動に駆られてしまう。
逆に、欲しい本が11冊だった場合は泣く泣く1冊を我慢してしまう……といった類のみみっちさも兼ね備えている。たかが100円などと思う人もいるかもしれないが、深層心理でそのためだけに千円札を崩して900円の小銭を手にすることを拒んでいる自分がいるのだ。
そのため、未だに雑誌の付録についているようなチープな財布を愛用している。そもそも財布に入れるような量の現金を持つことがないからだ。
こうした無意識に十進法的ぴったり感に従順すぎる私は、それによって買い物を支配されている。
欲しい物を買うときに「キリが良いか否か」という要らない判断基準が混在しているせいで、本当に欲しい物が買えなかったりしている。
でも、逆にこうした深層心理をガン無視して、好きなときに好きな紙幣を出して好きなものを買って、無造作にお釣りを財布に入れ込む…と言った行為をしようとも思わない。なんだかそれは自分の意識的には気持ち悪いと感じてしまうだろうし、これまでの買い物で培われた感性がその行為を否定するだろう。
結局、私は十進法的なキリの良さに一生左右されながらお金を使わなければならないのだ。
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