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ピラミッドの時代はなぜ終わった? - 複合的要因が影響した歴史の一断面を知る〜 「河江肖剰の古代エジプト」より

この動画によると、古代エジプトのギザの三大ピラミッドを始めとするピラミッド隆盛時代の後に、古王国時代が第6王朝に衰退を迎えた理由は、複数の要因が複雑に絡み合った結果であると考えられています。

これらの要因には、ペピ2世の後継者問題、気候変動によるナイル川の増水減少、首都メンフィス以外の地域で力を持つ地方豪族の台頭、官僚や神官の権力増大による財政圧迫、そしてピラミッド建設による財政負担が挙げられます。

第6王朝のペピ2世は、古王国時代の最長在位期間を持っていましたが、彼の長い治世が後継者問題を引き起こしました。また、約4200年前に起こった「4.2-kiloyear event」という気候変動が、ナイル川の増水減少を招き、飢饉がエジプト全土で発生しました。

一方で、首都メンフィス以外の地域では地方豪族が勢力を持ち、統治が困難になりました。このような状況は、ダグラ・オアシスにあるアイン・アシールの町や近くの墓からも推測されています。

さらに、官僚や神官の権力増大が財政圧迫につながりました。例えば、官僚の権力が宰相に集中していたことが、テティ王に仕えたメレルカの墓から伺えます。

また、太陽信仰が台頭し、神官が権力を持ちすぎたため、古王国時代末期には神官のボディーガードが王を暗殺しようとする事件が起こりました。

ピラミッド建設も財政負担となりました。ピラミッドは貢物や物資の再分配の役割を果たしていたものの、それ自体が何かを生み出すわけではありません。このため、ピラミッドの建設が財政に負担を与えたとされ、これらの要因が絡み合い、古王国時代のエジプトが崩壊に至ったとされています。

古代エジプトの衰退期に関する研究は、古環境学や発掘調査によっても裏付けられています。古王国時代のお墓から発見されたレリーフや削られた顔などの遺物からは、当時の社会における死後の罰が実際に行われていたことが分かります。これらの事例からも、古代エジプトの古王国時代の衰退は、様々な要因が重なり合って起こったことが明らかになっています。

この動画では、遺跡や文献から得られた情報をもとに、古代エジプトの歴史や文明の衰退がどのように起こったか、そしてそれが後世にどのような影響を与えたかについて、詳しく説明されています。
興味を持った方は、ぜひYouTube動画「教科書には絶対載っていない?〜古代エジプトの歴史 上級編」をご覧ください。

河江 肖剰(かわえ ゆきのり)
エジプト考古学者/名古屋大学高等研究院准教授/米ナショナルジオグラフィック協会のエクスプローラー。19歳でエジプトに渡り、1992年から2008年までカイロ在住。カイロ・アメリカン大学エジプト学科を卒業後、名古屋大学で歴史学の博士号を取得。ピラミッド研究の第一人者であるアメリカ人考古学者マーク・レーナー博士のチームに参画し、ギザの発掘調査に10年以上従事。2016年ナショナルジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラーに選出。ピラミッドの3D計測など、最新技術を用いた斬新なアプローチでエジプト文明の研究調査に取り組んでいる。


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