I’m green.
この本のことを書いていいのか。
すごく大切なことなのに
自分の陳腐な言葉で伝えていいのかな。
一瞬迷ったけれど、今感じていること
そのまま残しておきたい気持ちが少しだけ勝る。
だから、思ったことそのまま書きます。
多様性って何だろう。
差別しちゃいけない、いじめはいけないって思っていても、本当の意味での多様性を、私は全然分っちゃいなかった。
この世界に普通なんてないのかもしれない。
人種、出身、性、宗教、文化。色んな人がいて当たり前だし、みんなが一緒じゃなくてもいいはずなのに。
日本ではそれが見えにくいと感じる。
人種についてのニュースがこれだけ取り上げられてもどこか他人事なのはそのせい?
多様性を認めているようで、実は多様性って何なのかも考えもしてないんじゃないかと怖くなる。
誰だってアイディンティティが一つしかないってことはない。無理矢理どれか一つを選ぶ必要なんかない。何か一つが正しくてそれ以外が悪なんてことはない。色んな角度から物事を見なくちゃ。これは何についてもあてはまる。
だけど、世界はそんなに簡単じゃない。
露骨な格差よりも見えない格差の方が怖い。何も知らないまま大人になって、見て見ぬふりどころか、何がいけないのかも、分からない。それこそ無知だ。
日本の学校では、生きるために必要なことを本当に教えられているのかなって、それも怖い。
全く別の立場の人の気持ちになって考えることができるのか。その人の気持ちを想像することができるのか。相手を尊重した上で自分が何を選ぶのか。こういうことが必要なんじゃないかな。
どの差別だろうが、理由がなんであろうが、人を傷つけるのはどんなことでもよくない。今の子どもたちは、このこと分かってくれているかな。
自分が正義の側に立って、悪を罰する大義名分を掲げて、人を傷つけていないかな。
自分が、正しいと思い込んでしまうと、相手の立場には立てなくなる。絶対に。それだけは、してはいけない。
善意は同情ではない。相手の立場に立って考えようとする原動力だ。自分と違う立場の人のことを本気で考えるから、あの言葉が言えるんだ。
「君は僕の友だちだからだよ」
その人のことを本気で思うから、できる行動。
同じ目線で、同じステージにいるってこういうことだ。だから、助け合えるんだ。
ふと、考える。
自分が今まで発してきた言葉が、無意識に相手を差別してなかったかって。
その人のアイディンティティを傷つけて無かったかな。
無知という名の偏見。
自分のものの見方が意図せず、相手を差別してしまうんじゃないか。
様々な考え方、様々な文化、様々な言葉。
自分の考え方とは決して同じじゃないことを忘れてはいけない。
私もまさに、今、グリーン。
未熟で、経験も足りなくて、考えなきゃいけないこともいっぱいある。
何がいけなくて、なぜだめなのか。
そんなことも分からずに、
これが正しいと主張するだけの人にはなりたくない。
今、世界で起こっていることを、歴史の繰り返しと感じる人もいれば、前進と捉える人もいる。
私たちみんなが、
「相手の靴を履いて」世界を見ることができたら、
それは本当の意味での多様性の尊重じゃないかな。
難しい?
でも、未来の子どもたちのために、大人が諦めちゃだめだよね。
残してあげたい未来があるよ。
未来は私たちの手の中にもある。
2020.6.2
ブレディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」新潮社
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