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私もきっとそうだった

昨日はKちゃんとガーデニングのお店へテクテク歩いて行った。自転車で行けば10分くらいだったが「少し歩こうか?」と。

動機としては、最近迎えた白猫ブランカのためにベランダにプチ庭園でも造ってあげようか?というところだ。

洗濯ものをベランダに干していると、網戸の向こう側から「にゃにゃ?!」と驚いたように声を発するからだ。「出たいのか?」
事故があってはいけない!と網戸を開けてあげないのだが、自分からも開けようとしない。
でも人間の勝手で狭い室内で暮らすより、草花のあるベランダで日向ぼっこが出来たらどんなに良いだろうか?

生前の白ちゃんは、20年以上生きた生猫で、筋肉モリモリ。網戸どころか、普通の重いサッシも立ち上がって自分で開けていたが、君にはまだ無理だろう。ベランダを整備したら案内してあげる。

***
明け方に不思議な夢を見た。

光に向かって泳いだり走ったりしている。

誰かに服の端を掴まれる。いや、服は着ていない。
魂の端っこを掴まれている。

何をする、この野郎。私は自由を阻まれるのが一番嫌いなんだと激しく怒るものの、先方は「焦らないで。もうちょっと準備をしてからね。」と宥められる。

光の先にKちゃんが見えた。

「どうしてもと言う人は仕方ないと思って通してあげるんだよ。でも、その場合は癒えていないままだから病気のままかも知れないし、短い逢瀬になるかも知れない。」と、顔の見えないその人は親身になって語ってくれている。「それでもというなら、それはそれで良いと思うんだよ。」

だって間に合わない!と私は思う。あの人の60代70代に生まれてもなあ。

「中にはもう一回猫をやってでも!という子もいるよ。」

え?

「本当はちゃんと準備をして転生するんだ。本当は全部綺麗に入れ替えて。すぐに分かってもいけない。あまり覚えていても仕方がない。修行にならないから。だから、もう少し・・・」

そこで目が覚めた。

寝起きに色んなことを考えた。私はある程度忠告を聞きつつも、もう一度光に飛び込んだのだなあ。
会いたい人とはずいぶん離れたところに生まれた。年代も違った。でも、同じ国だったのはある程度の言いつけを守ったからなのか。

私は思う。

多分この世に生きている人の全てが誰かに愛されていて、誰かを愛し、誰かをめがけて生まれて来ている。

気が付かなくても良い。早すぎても遅すぎても良い。こらえ性がなくてもそれなりに選択の答えが出る。

うっかりして悪役として生まれてしまうこともあるかも知れない。子供としてかも知れないし、同僚としてかも知れないし。気が逸り過ぎて、不完全な蝶のような姿であなたの元に現れたかも知れない。

ブランカという猫が、一部生前の姿を残してやって来てくれたのは、
そんな素敵なヒントを持ってやって来てくれたのは、
どういう経緯なのかは分からない。
本当は違う生き物のはずだったのかも知れない。
それとも私は猫が好きなので、やっぱり猫を選んだけれど、全く違う姿の猫の姿で・・・という計画だったのかも知れない。

尻尾だけが縞々で、お耳だけがベージュなところを見ると、多分、少しだけ予定通りでなく、急いでやって来てくれたのだろうと思う。

皆があの転生の光に、好きなタイミングで飛び込んで、生まれてみればああすれば良かった、こうすれば良かったと思う者もいるのかも知れない。でも、結局何かを忘れちまっているだけで、皆が正解で皆が許されているのだろうと、そんなことを夢想する。

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