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皿回しの石碑を見に浅草に行ってきました!

先日皿回しの歴史について調べ物をしていたら、気になる情報が…

『浅草のお寺に皿回しが刻まれた石碑がある』!?

いてもたってもいられず、浅草に行ってきました。
場所は東京は浅草、台東区寿町の本法寺。

浅草だけあって、落語、歌舞伎など芸能系の方のご寄付が多いよう。『はなし塚』という戦時中に不適切として演じられなくなった台本を供養する塚もあるお寺です。

雲一つないきれいな空。塀には落語協会や舞台人の名前が並んでいました。

境内を探すと、入って右手の奥の方に…ありました。

はなし塚、筆塚の近くにひっそりと
近づいてみると

結構読みにくいところもありますが、奥さんに手伝ってもらい、解読しました

書いてあるのはおそらくこんな感じ

真ん中にお伽丸柳一之碑という文字と、右側に皿回しが刻まれています。
左側には関東大震災のことを詠んだ句が書いてあります。心臓発作で急死された方なので、おそらく辞世の句がなくて代わりに代表作を彫ったのでしょう。
ここからは、お伽丸柳一さんのことを見ていきます。

お伽丸柳一と皿回し

一柳斎柳一さん(1865?~1929)(別名:お伽丸柳一さん)は本名を渡辺國太郎といって、五代目伊東凌潮という講釈師に育てられたそうです。
養父としては堅気の職業につけようと奉公に出しもしたのですが、長続きせず。そして柳一はだれに教わるでもなく皿回しを身につけます。

当人は飯を食ったあと、茶碗ぐらいは洗わなくちゃいけないってんで、流場で茶碗を洗いながら、皿を箸の先に乗っけて回したんだ。回す皿ってものは仕掛物でね、皿の裏の所にちょいと傷がついてるもんですよ。そこへ尖ってる棒をあてがって支えにして回すものだが、ところが柳一の皿にかぎって、誰に教わったんではなく、皿洗ってて会得したわけだから、傷なんぞついてない。本当に自然の芸なんだね。

正蔵世相談義 林家彦六(1982年)

奇術師の帰天斎正一の門人となって帰天斎正孝を名乗り、のちに3代目春風亭柳枝のもとに移り、春風一柳、春風一柳斎と改名、さらに1900年頃に一柳斎柳一と名乗ったようです。こんな資料を見つけました。

落語系図  月亭春松 編 1929年

同じページにいるジャグラー操一もかなり気になりますがジャンルでいえば西洋手品。奇術や琴などメジャーな芸の名前が並ぶ中、さら廻しはたった一人異彩を放って見えます。実際、この章には89人の芸人の名前が並んでいましたが、皿回しはたった1人でした。そして、同じ本の中に明治22(1889)年~明治32(1899)年の番付がいくつか載っていますが、そのほとんどで春風一柳の名前を確認することができ、寄席に盛んに出ていたことがうかがわれます。僕が生まれる100年前、皿回しを武器に活躍した人がいたんですね。

明治25年の番付(落語系図  月亭春松 編 1929年)

一柳斎柳一のもう一つの芸:記憶術

また、皿回しだけでなく記憶力が非常に高く、図書館通いをする教養の高い人物だったそうです。
記憶術という変わった芸も持っていました。お客さんからお題を30個出してもらい、柳一は目隠しをしたまま聞いて、書記がこれを書き留めていきます。柳一は聞いただけで覚えていて、「14番!」と言われると14番目に言われたお題を言い当てる。「次は3番!」と言われるとまた3番のお題に応える。「15番から1番まで逆順に1つ置き」のように難しいフリにも、「15番○○13番△△11番◇◇…」とすらすら応えたそうです。

これは、当時は皇太子だった大正天皇に披露したこともあるそうです。何番のお題だったんだかわかりませんが、太公望秀吉というお題を答えればいい回に、柳一は「渭水(いすい)に釣り糸を垂れ、矢矧(やはぎ)の橋に眠る」と返したそうです。司会者は題名が違うと指摘したそうですが、大正天皇からは「それでよい」と拍手をいただいたとか。これは「太公望」という言葉の由来になった中国の故事で、太公が望んでいた軍師の呂尚は釣りをしているときにスカウトされたという故事と、子供の頃の豊臣秀吉が矢作橋で寝泊まりしていたという言い伝えをくっつけた、機転と教養に富んだ返答なんですね。

教養に富んだ柳一はまた別の活動もしていました。そこにはこの石碑の発起人の一人、児童文学の先駆者とも言われる巌谷小波(いわやささざなみ)と関係します。巌谷小波は桃太郎、浦島太郎、こぶとりじいさんなどを現在知られる形に再編した方ですが、柳一はこの先生が主催するお伽噺会(おとぎばなしかい)の会員でもあったそうで、ここで公演する際にはお伽丸という名を使ったそうです。

亡くなった後石碑が立てられました

1929年2月7日、柳一は64歳で亡くなりました。当時の新聞によると、心臓発作とのことです。ヘビースモーカーだったようですし、心筋梗塞かもしれません。5年後の春、お伽丸柳一の石碑が建立されました。

石碑の右側に描かれた皿回し

石碑の表面には斜めに回された皿が描かれています。
簡単な線画なので技の詳細はわかりませんが、細長い棒でまわしていたこと、もしかしたら平皿ではなくある程度深みのある茶碗のような形状だった可能性もあります。皿の表面に描かれているのは、柳一の名前にちなんだ柳の模様ではないでしょうか。

裏面には発起人の方々の名前が書いてありますが、少々風化して読みにくかったです。

一見何も書いていないように見えますが…
撮影条件を工夫すると、文字がうっすら見えてきます

本法寺のホームページによると次の方々だそうです。

巌谷小波、石川木舟、服部感夫、花柳徳輔、高峰築風、高畠華宵、久保田金倦、栗島すみ子、野村元基(野村無名庵)久留島武彦、安倍季雄、天野雅彦、笹野豊美 以上十三名

  日蓮宗 長瀧山 本法寺 お伽丸柳一の碑

それぞれどんな方か調べてみると、学者、作家、落語研究家、日本舞踊家、琵琶の演奏家、画家、女優…とさまざまな専門の方々でした。多方面から愛されていたことが伺えます。

以上、石碑からスタートして、大先輩の足跡を追いました。僕も技だけでなく、教養も深めていきたいものです。

参考
本法寺 お伽丸柳一の碑
谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
落語系図(月亭春松  1929年)
正蔵世相談義(林家 彦六 1982年)
日本奇術文化史(日本奇術協会『日本奇術文化史』編集委員会 2016年)
講談落語今昔譚 (関根黙庵 1924年)
寄席紳士録(安藤鶴夫 1960年)

皿回しの大先輩の石碑と記念撮影

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