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溝口敦『喰うか喰われるか 私の山口組体験』

僕が言うことの半分は意味がない
それでも君に届くように言ってるんだよ

◆ビートルズ ー ジュリア

https://youtu.be/TZip_br_v3w

溝口敦『喰うか喰われるか 私の山口組体験』(講談社)を読了。

ノンフィクションライターである著者の、これは来し方を山口組取材との連関で著したもの。現在アマゾンの事件一般関連書籍でベストセラー1位。
溝口敦氏はヤクザ専門ライターというわけではなく、創価学会や武富士など種々の表裏を明らかにしてきた。自分はもっぱらヤクザ研究で読み漁ったが、細木数子をマスメディアから放逐した『細木数子 魔女の履歴書』(講談社プラスα文庫)や、ハンナンの浅田満氏(BSEに絡む補助金詐取事件等で有名)の『食肉の帝王』(同)はそれぞれ芸能界、食肉業界の裏というか実態というか、つまり仕組みを面白く読んだ。
※細木数子も浅田満も共にヤクザの周辺者ではある。が、後者は地元関西 ー こと羽曳野や八尾 ー では、すこぶる評判が良いことを付け加えておく。
※こちら宝塚の知り合いも浅田氏の逸話を称賛とともに教えてくれた。つまるところそれは池波正太郎が鬼平その他に書いた「人間は、悪い事もすれば良い事もする」ということだろう。

著者は昭和40(1965)年、早稲田の政経を出て出版社を受けまくるもことごとく不採用。元来ヤクザには興味がなくむしろ嫌いだった。唯一〝拾ってくれた〝のが徳間書店系のアサ芸で、そこで第一次頂上作戦後の山口組取材に入ったのがライターのはじめ。
アサヒ芸能を辞めてフリー、広告代理店のH社(博報堂)に勤めてまたフリー。処女作『血と抗争』(三一書房)こそ俺は未読だが、竹中武・正両氏に取材しまくった『荒ぶる獅子 ー 山口組四代目竹中正久の生涯』(徳間書店)は名著だし、要は氏自身、山口組とは(もちろん取材者として)つかず離れずの関係。

折々の記事や著作は、いかに宅見勝や岸本才三ら最高幹部と知己であっても、時に山口組執行部の反感を買う。ヤクザは面子を重んじるし、人間の集団は企業だろうが極道だろうがその内部にパワーバランスがある。週刊誌の1記事の、たった1つの言い回しさえ彼らの立場を危うくしかねないのだ。
溝口氏自身はもちろん、何の関係もない御子息さえ刺される。

暴力団対策法と暴力団排除条例が行き渡った今でこそカタギに危害を及ぼせば組の存亡に関わるが、往時のジャーナリストは常に危険のなかで仕事をしていた。表に出ないだけで、今でもこういうことはあるだろう。
※メディアに罪はもちろんあるが、軽々に〝マスゴミ!〝などと、だから言ってはならんのだ。

「褒めもせず、非難もしない。ただ事実だけを書く」という溝口氏の態度は、取材対象との距離感に表れる。決して金銭をもらわないが、会食はする。版元に決して訂正謝罪の「お詫び」はさせないが、次の記事内で前回との異同を書く。
これはすこぶるクレバーなやり方だ。というのも、異同を書くにあたっては再び取材をせねばならない。そしてクレームを入れてきた相手は、取材に協力せざるを得ないからだ。訂正させるために。
そこで新たなネタも仕入れられる。蓋しクレームは〝産みの母〝で、これは一般企業も同じである。

いっぽうこのクレバーさ・距離感・態度は、ジャーナリストたる以前に、著者の狷介に由来するのではないか。
渡邊芳則を自分語りが鬱陶しいからと遠ざけ、山健組組長時代から五代目就任後も一貫して批判的。むろん御子息刺傷事件の黒幕なのでこれは宜なるかな。本件で被告側だった山ノ内幸夫・元山口組顧問弁護士については、法廷陳述書の論旨がなってないからといってその人間性まで疑うのは行き過ぎだろう。

溝口敦にせよ佐野眞一にせよ、毀誉褒貶はつきもの。後者は例の〝ハシシタ〝でミソをつけたし溝口敦も事実誤認と、名誉毀損で訴えられた。
だが、だからといって書いてきたものの価値は毀損されない。むしろ毀誉褒貶こそ〝突っ込みすぎる〝証であり、ジャーナリストの勲章とも言える。

本書『喰うか喰われるかー』は、書名どおり山口組を〝喰ってきた〝 ー 山口組で、食ってきた ー 、時に〝山口組に喰われた(刺された)〝 いわば自分史。
山一戦争や五代目就任、宅見若頭射殺事件あるいは弘道会によるクーデターといった折々の事件よりも、俺は溝口敦というライターの、そんなありように得心したものである。

But I say it just to reach you, Julia.
溝口さん、確かに届きましたよ。

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