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ふるえつつ咲く

押しひらくちから蕾に秘められて万の桜はふるえつつ咲く

ー『プラチナ・ブルース』松平盟子


この短歌を初めて目にしたのは3.11のころだったんじゃないかと思う。

当時就活生だった私は、節電が叫ばれる最中の薄暗い駅のホームを、リクルートスーツに黒いパンプスを履いて歩いていた。

テレビでは、枝野官房長官の疲れ切った顔、途方も無い行方不明者の数や福島第一原発の様子が連日伝えられ、もう日本は終わりかのような報道ばかり。なのに、面接では「こんなことをやってみたい」と本当はよくわかっていないのに絞り出した「やりたいこと」を明るく話さなければならない状況、混乱したスケジュールに、なかなか出ない内定。心がほとほと疲れていた。

その日は雨が降っていた。雨が降れば「放射能が降ってくる」なんて話も飛び交うなか少し怯えた気持ちで傘をさしながら、面接のために訪れたよく知らない街をとぼとぼ歩く。

その街には川が流れていた。行きでは目に止める余裕がなかったのか、帰り道でやっと気がついて足を止めた。雨のなか、川の両岸にソメイヨシノがぶわっと花を咲かせ連なっていたのだ。

その時に、冒頭の短歌が頭をよぎった。まだ自分は蕾だけど、ちゃんと花を開かせる力があるのだ、きっと。と自分に言い聞かせるようにその景色を眺めた。雨の中咲き誇る桜は寂しげで、でも凛と美しかった。

2020年3月28日。東京に週末の外出自粛要請が出た土曜日。テレビでは安倍総理の会見が流れている。

昨日は風が強くて、近くの小学校からやってきたのか桜の花びらが玄関の前にも散らばっていた。ちょっと寂しげな桜に、あの無力で鬱屈して仕方なかった日を思い出す。

あの頃、全く余裕なく考えていた自分の「やりたいこと」は、これだけ時間が経っても、誰かが見つけてくれる訳でも閃くわけでもない。いつまでも同じことで悩み続けている。

でも時間を重ねてきた9年間を振り返れば、目の前の仕事やちょっとした興味の種に対して、真剣に、時々だらけながらも手を動かしてきたことで、ちょっとずつちょっとずつだけど自分の持ち物が増えてきたことも今は感じる。

どこか憧れていたかっこいい姿じゃなくたって、求められている姿の100%じゃなくたって、きっと私は私の持ち物で誰かの役に立てるし、ここに居ていいし、幸せでいて良い。

先の見えなさに不安は積もるけれど、それでも私は自分たちに秘められた力を信じたい。

そう願いながら、あの日の桜を思い出す今日なのだった。


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