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後輩が休職しました――残された先輩OLの葛藤

後輩が会社に来なくなった。私が彼を強く叱った翌週だった。

その前からマネージャーからは厳しめの指導も入っていたし、仕事そのものの意義にも疑問があったようだ。私のせいではない、と周囲も言ってくれる。でも私と彼のやりとりが最後トリガーになったのだろうな、とは思っている。

営業から異動してきて3カ月。今年度の初めに中途で入社してきた4歳ほど年下の彼は、営業が向いていなかったのか本人の「企画がやりたい」という希望が通ったのかはわからないが、経営企画を担当する私の部署にやってきた。彼は、私が今年会社で賞をとった様子も見ていたようで、「青葉さんがやっていたような仕事をしてみたい」と嬉しそうに語っていた。

10月で私の部署から異動していく別のメンバーの仕事を、彼が引き継ぐことになった。2か月間の引継ぎ期間の後、今月初めて一人で仕事を担当していた。良い子ではある、けれど様子を見ているうちにあまり要領の良いタイプではないことは感じていた。

彼が受け持ったのは自分も過去に担当した業務だった。私も要領の良いタイプではない上に乱暴な引継ぎを受けて苦労したし、その業務が見た目よりも大変なことはよく知っていた。彼に早く一人前になってもらいたいと、仕事を覚えられるよう私も支援してきたつもりだった。マネージャーがあまりにきつい態度で彼を詰めていたので、「その言い方はないだろう」とマネージャーと喧嘩して、かばったりもした。

けれど先日、私が何度も「これは絶対に間違えちゃいけない数字だから、ここと確認してから入力してね」と念を押していた数字を、彼は間違えていた。初めてのことじゃない、何回目だと思っているんだ、いい加減にしてくれ。〆切も迫っている。これが遅れれば、数えきれない人に迷惑がかかる。もう彼に猶予をあげている時間はない。

頭に血が上っていくのを感じる。制御が効かなくなった自分の口からは、厳しい口調で言葉がどんどん溢れてきた。

「何回も説明したし、さっきわかりましたって自分で言ったよね?理解してないんじゃなくて、単に確認しなかった怠慢じゃん。絶対に間違えられない重要な数字だって説明したよね?何回言ってもできないなら、もうやらなくていい。」

彼は謝罪し、どうしたらよいのかと私に尋ねた。

私はどうして間違えたのか、どうしたらよかったのか、これまでのように一緒に手順を確認してあげればよかったのだろう。けれど、スケジュールは押しているし、彼ができなかった分を私がカバーせねばならない。私にだって余裕がなかった。

「もういいから」

そして翌週、彼は会社に来なくなった。異動前の部署の上司に、泣きの連絡が入ったらしい。しばらく休職することが決まった。

このことが起こる前、私はマネージャーと話していた。

「彼にこの業務全部任せるの厳しそうじゃないですか?」

それに、マネージャーはこう返してきた。

「でも、あいつの業務を減らしたら派遣さんかパートの人にやってもらうような業務しか残らない。そうしたら厳しい評価をつけて給料下げざるを得なくなる。それは彼にとっても不幸だろ?」

私の勤める会社は、任される仕事の難易度に応じて給料が変わる。難易度の高い業務なら年次に関係なく高い給料がもらえ、代わりが利きやすい業務なら年齢に関係なく容赦なく給料は下がる。みんな平等年功序列で、できる人たちのモチベーションが下がってしまうことは会社にとって不幸。これはうちの会社の生存戦略だ。悪いとは思わない。

彼と私は直接話していないけれど、「企画の仕事がやりたかったのに、今の仕事は何のためにやっているかわからない」と異動前の部署の人に漏らしていたようだった。

彼はうちの部署の仕事をかっこよさそうだと思っていたようだけれど、日の目を見るような仕事は本当に少ない。かっこよく見えるのなんて上澄みの部分だけだ。かっこよく見える仕事をやれるようになるまでには、泥臭い仕事を積み重ねるしかない。
私の部署は、経営企画という響きと裏腹に足元業務が非常に多い。毎回1円まで数字があっているのが当たり前。毎回100点を出さなければいけない。間違えれば減点、加点はない。数字が合わなければ会社中のデータをかき集め、何万桁のExcelの中からおかしなものを見つけ出し、理由を突き止め、正しく修正するということを限られた時間の中でやらなければいけない。
100点を出し続けるために、面倒な数字のことは派遣さんに任せている営業部署のマネージャーの代わりに派遣さんをフォローしてまわり、よその部署のマネージャーたち、時には役員や社長を納得させ動かさなければ仕事は進まない。どこかの部署のミスで、予定していた利益と実績がずれれば、代わりに経営陣に説明し怒られるのは自分。根回しと調整の毎日、求められる早く正確な処理能力と高いコミュニケーション能力。

大変だ、めちゃくちゃ大変だ。私も毎日泣いていた時期がある。すぐにできるわけないことは、身をもって知っている。でも、やらなければできるようにはならないし、そんな時間を経ることで知識と信頼を得て、やっと面白いと思える仕事が自分にまわってくるし、それに応えるだけの力がつく。

だから、彼が会社に来なくなってしまった件について、自分が悪かったと思うべきなのかすら、よくわからないのだ。だって、こういう会社だってわかって入ってきただろう?面白い仕事したいって言ってたじゃないか。

実力主義の給与形態や、面白い仕事ができるようになること、そんなことを望んでいない人もいることはよくわかっている。これが素晴らしい会社の在り方だと信じているわけでもないけれど、こういう形が間違っているとも思えない。現に、私は壁をよじ登ることでアドレナリンがどばどば出るタイプのようで、なんだかんだ気に入ってこの会社に居続けることを選んでいる。

自分自身も仕事で追い詰められ、過呼吸で倒れたこともあったし、いつか自分が会社にいけなくなるんじゃないかと恐れもあった。パワハラは許されないし、うまくなじめない人は救われるべきだと本当に思っている。自分が苦しい思いをした分、後輩を守ってあげたい気持ちも嘘でなく、あった。けれど今回、「自分はもっときつい状況を越えたのに」という冷たく彼を見ている自分も確実にいて、結果追い詰める側になってしまった。

けれど後輩が「何のためにやっているかわからない」と言った仕事を、より広い範囲で担当している私は、これから彼の分まで仕事をしなければならない。自分たちの撒いた種なのかもしれないけれど、この事実を何の感情もなく受け止めることは難しい。黒っぽい感情が身体の中を駆け巡っていくことを感じる。

彼にはここが合わなかっただけ、彼に合う場所がみつかるといいね。そう割り切るしかないのかもしれない。けれど、私は資本主義的な合理性みたいなものからこぼれてしまったものを大切にしたいと願っていたはずなのに、自分はそこに適応し、迎合し、大いに加担してしまっている。一人休職まで追い込んだことで、自分の冷たさや滑稽さを否応なく思い知らされいささかショックだった。

先日WEBでインタビューを読んでいて印象的なものがあった。

「結局ここまで仕事に打ち込んでいるのって、自分に自信がないからなんじゃないかって思うことがあります。自己肯定感が低いといいますか。自己を肯定するために、それなりの企業でお給料を貰って頑張っているという部分もあるんじゃないかって。」
https://telling.asahi.com/article/12677317

これはまさしく自分だ、と思った。察するにインタビューを受けている彼女ほどの仕事を私はしていないように思うが、それでもそれなりに名前の知れた会社でかっこよさそうな名前の部署で働いているということが、毎日詰められながらも乗り越えてポジションを確立したという物語が、心もとない自分の存在を支えるものになっていることは、悲しいかな、間違いない。努力もそこそこに結果がでなくても許されることは、この自分を支える物語の否定にも感じる。一言で言えば「ずるい」だ。

生きづらい人が生きやすい世の中になってほしい、誰もが救われてほしいと願うと同時に、誰よりも自分が救われたい。

自分がなんとか生きてきて、よりどころにしてきた物語は簡単に捨てられない。

こういうひとりひとりの物語の拮抗、折り合わなさが職場の、いや職場にとどまらない息苦しさを生みだす元凶のようだ。

例えば、私は女性だから妻だから母だからと虐げられてきたものは救われたいと思うし、それを受け付けられない人たちの頑なさを、信じられないと思ってきた。なのに、今回少しわかってしまった気がしたのだ。

誰もが救われる世界。それが理想なはずなのに、その世界が実現したときに自分は果たして救われているのか、という疑問が、重たく雨を落とす雲のように心に浮かんで流れていく。

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