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【雑記】ボケた爺ちゃん、インド、化粧療法、美容整形


問題は当たり前の違い


仮に爺ちゃんがボケてご飯を手で食べ始めちゃったとして



日本で食事を手で食べていたら怪訝な目で見られる
でも
インドで食事を手で食べていても誰も気にしない

問題として見ているものは
人の行動ではなく
人の行動と当たり前とのギャップにある。

認知症になってしまい、食べ物を手で食べる爺ちゃんは
インドに行けば当たり前として見られるんだろうか、、、?



化粧という当たり前の動作


僕は男だから化粧はしないけど
日本の女性は化粧しないで歩いていると非常識としてみられる、、、らしい。

昔、フランスでちょっと住んでいた時の事
女性が化粧をするのはパーティーに行く時くらい
それか娼婦の仕事をしている人。

『化粧ってなんでするの?』って感じだったの思い出した。



作業療法士がよく使う評価スケールにFIMがある

機能的自立度評価法(きのうてきじりつどひょうかほう、Functional Independence Measure、略称FIM)とは、1990年にアメリカ合衆国でGrangerらによって開発された日常生活動作(ADL)が自力でどの程度可能かを評価する方法である。

Wikipedia

これは作業療法士が行う超基本的な評価方法で
対象者が当たり前の動作をどれくらい出来るのかを各項目ごとに点数をつけるもの。

この中に清容という評価項目があって
歯磨き(口腔ケア)、手洗い、整髪、洗顔
などがある
その中には髭剃り化粧も含まれている。

この評価は以前からその人がその動作を行なっていたかが重要な視点なんだけど。

化粧が日常生活動作に含まれているのも〝当たり前〟によるものなんだなと。



じゃあ『化粧ってなんでするの?』と考えてみるとする

セラピストの技法の一つに化粧療法なるものがある

化粧療法 (けしょうりょうほう、英語: medical cosmetic therapy) とは、人間の健康、幸福、尊厳を支えるために、化粧による指導、援助をいう。

Wikipedia

確かに認知症などにより施設入所となった高齢の女性が
化粧をする事で機能が向上する事は臨床でも体感としてあった。

最近はルッキズムだの何だの言われようと
綺麗な事は良い事だし
外から内に良い影響を及ぼすのはすごく作業療法的で
よく理解できるし賛成です。

その度合いそれ以外を置き去りにする事がダメな訳で
それは見た目に限った事では無いと思う。



美容整形


じゃあ美容整形はどうだろうか?
個人的には化粧も美容整形もベクトルは同じだと考えている(異論は認めます)

聞いた話によると
若い世代の人たちにとって美容整形はアプデ(アップデート)と呼ばれているらしい。

つまりどんどん更新し続けていくものとしての意味が含まれている。

とりあえず美容整形の是非に関してはここでは言及しないものとして
そんな新しい世代の当たり前をどう僕たちは認識するべきなのか?

具体的には
自分の子供に『整形したい』って相談されたらどんな話をしよう、、、
とかって場面は近い将来やってくる気がする。



当たり前の変化と2100年のFIM


時代も変われば文化も変わる
文化も変われば常識も変わる

障害を持った人の行動を問題と思っている事の大多数は
自分達の持っている当たり前が原因なんだろうなぁ。


精神疾患を抱える人に対する当たり前が変化する事を願いながら
2100年のFIMには
美容整形の項目が追加するのでは、と妄想したりします。

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