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50年を超える月探査の歴史|月への挑戦 [アポロ計画~アルテミス計画]

1969年7月20日
アポロ11号に搭乗した ニール・アームストロング船長によって 人類史上初の月面着陸が達成されました
さまざまな月の謎が解き明かされてきましたが 1972年のアポロ17号以降 有人での月面着陸は達成されていません
技術的な進歩があるにも関わらず なぜ50年以上も月面着陸は達成されていないのでしょうか

今回は 主に アメリカの月探査に関連する歴史を振り返りながら
「月面着陸の夢 アポロ計画からアルテミス計画へ」というテーマで お話ししていきます

※動画版はこちら

1. ジョン・F・ケネディ  月への旅を宣言(1958~1961年)

1958年10月
NASAの創設と同時に 人類を宇宙空間へ送るための「マーキュリー計画」が始動しました
それまでも"月世界旅行"などの作品において 月への旅は 空想として語られ 人類の大きな夢でもありました
NASAのエイブ・シルバーシュタインは
「マーキュリー計画」以降の長期計画の構想段階で サターンロケットに乗せる新しい宇宙船の名前を考えていました
ある日 たまたま手にした神話に関する本から 大空をかける太陽神アポロンの姿を思い浮かべます
そして 1960年7月28日には
「マーキュリーの次の宇宙船はアポロと呼ばれる」ということが 会議で発表されました
この時点で任務内容は確定しておらず
地球を周回するのか
月を周回した後に帰還するのか
あるいは月への着陸を目指すのかなど なにも決まっていなかったのです

ジョン・F・ケネディ

1961年のはじめ
新しく大統領になったジョン・F・ケネディは 政策の一環として 宇宙計画に力を入れようとしていました
そんな中 4月12日に
ソ連が宇宙船ボストーク1号にユーリ・ガガーリンを乗せ 人類史上初となる 有人宇宙飛行をおこない アメリカに大きな衝撃を与えます
これは 1957年の世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げにつづいて
ソ連の宇宙における技術的優位を印象付けることとなりました
このことが アポロ計画の任務を 決定づけます

1961年5月25日
ケネディ大統領による 歴史的な演説がおこなわれます
「1960年代が終わる前にアメリカは"人類を月へ着陸させ 安全に地球へ帰還させる"という目標を達成するであろう」
こうして 「アポロ計画」という 偉大な挑戦がスタートしました
ちなみに 演説の20日前にはマーキュリー宇宙船による初飛行が成功していますが
どんなロケットが必要なのか
どんなルートで月へ着陸するのか
など 未確定なところも多く 1961年のうちに 結論は出ませんでした
それでも 8月9日にはマサチューセッツ工科大学に対して アポロの誘導・航行システムを発注
11月28日には ノースアメリカン社が宇宙船の製造を担当することも 決定しました

2. 月への着陸方法(1962年)

月へ着陸する方法として 大きく分けて 3つの方法が検討されました
1つ目は 「直接着陸方式」
これは 月面のある地点をロケットで直接狙う方法です
当時開発していた サターンロケットよりも大きい "ノバ" と呼ばれるロケットを開発することが必須でしたが
すぐに技術的な課題が露呈したため ロケットの開発自体が打ち切られてしまいました

2つ目は 「地球軌道ランデブー」
これは 地球の軌道上に複数のロケットを打ち上げた後 燃料補給や 月着陸船の組み立てなどをおこない 着陸の準備を整えたあとに月面を目指す方法です
当初 フォン・ブラウンらのチームは この方法を推奨していました

3つ目は 「月軌道ランデブー」
これは まず月の軌道上に宇宙船を送り込み そこから宇宙船の一部を着陸させる方法です
宇宙船の月着陸部分を 最も小型にできる
宇宙船全体の開発を 簡素化できる
などの理由によって 1962年 7月10日に 「月軌道ランデブー」による月着陸の方式が正式発表されました
月軌道上でのランデブーや ドッキングの危険性により 反対する人々も多数いたそうですが
11月7日には グラマン社が月着陸船の製造を担当することが決定し
アポロ計画は本格的に始動することになります

3. 宇宙船の開発(1963~1964年)

当時 アポロ計画における 月面着陸の技術を開発するために考案されていた 「ジェミニ計画」は技術的に難航していました
そこで NASAの長官となった ジェームズ・ウェッブは 6回の有人飛行に成功した「マーキュリー計画」を打ち切り 人員の再配置をおこないます

アポロ宇宙船の開発を担当するノースアメリカン社は 月着陸方式の決定前に すでに開発をスタートさせていましたが
月軌道ランデブー方式の採用にあたって アポロ宇宙船には 月着陸船とのドッキング装置が必要になりました
1964年4月には アポロ宇宙船の実物大の模型が発表
さまざまな改良点の指摘を受け 9月には新しいバージョンの模型が発表されます
グラマン社による 月着陸船の開発も急速に進みました
1963年の秋に 実物大の模型が いくつか製作され
1964年10月には 実際に使用される装置も一部取り付けた 完全版の模型が発表
アポロ宇宙船 月着陸船は ともに最終的な姿をあらわしたのです

テスト段階のアポロ宇宙船の模型

4. アポロは飛ぶ(1965~1966年)

1965年3月にはじまった ジェミニ宇宙船による有人宇宙飛行は
宇宙遊泳や地球軌道上でのランデブーなど多くの成果をあげ 1966年11月に終了しました

アポロ宇宙船と月着陸船の製作が 急ピッチで進むのと同じ時期に サターンロケットの開発も 進展を見せます
第1段, 第2段, 第3段の燃焼テストは 1965年に成功
1966年5月26日には ケネディ宇宙センターに巨大なサターンVが登場しました
アポロ宇宙船を地球軌道上に打ち上げるための サターン1Bは
1966年2月26日に 無人のアポロ宇宙船を乗せてのエンジン点火テストに成功
司令船は機械船と切り離されて大気圏に再突入し その後 無事に回収
熱遮へい版が 司令船を高熱から守ることも 証明されました

サーベイヤー1号

6月2日には 無人探査機サーベイヤー1号が月へ到達
月面に関するデータや写真が送られ 月面への安全な着陸ができることが 明らかになります
8月25日には ふたたび無人のアポロ宇宙船が サターン1Bで打ち上げられ エンジン点火テストに成功
有人宇宙飛行の人員も決定し
打ち上げ日程は 1967年 2月21日 に設定され いよいよ その日が近づきます

5. 悲劇を乗りこえて(1967~1968年)

1967年1月27日
アポロ1号の打ち上げの日まで 約1か月ほど
ケネディ宇宙センターの34発射台では 本番さながらの訓練がおこなわれていました
サターン1Bの先端にあるアポロ宇宙船には
乗員のバージル・グリソム
エドワード・ホワイト
ロジャー・チャフィー
宇宙飛行士3名が搭乗中でした
そこで悲しい事件が起こります
電気系統のショートによって 宇宙船内での火災が発生
船内では純粋の酸素を多く使用していたため 火はあっという間に広がり 3名全員が死亡してしまいます

この事故によって 設計面からの大幅な修正が必要となりました
可燃性材料の排除や
脱出困難なダブルハッチから 5秒で緊急脱出できるシングルハッチへの変など
同じような事故を二度と起こさないための 改良がされたため 1967年に有人宇宙飛行は 一度もおこなわれませんでした
それでも 11月9日には無人のアポロ宇宙船と月着陸船の実物大模型を乗せた サターンVが はじめて打ち上げられ アポロ4号とよばれるこの飛行は 成功を収めます

アポロ4号

1968年は 悲劇を乗りこえて躍進の年となりました
1月22日に アポロ5号と呼ばれる最初の月着陸船が サターン1Bによって打ち上げられ
4月4日には サターンVによって アポロ6号の打ち上げがおこなわれました
アポロ4, 5 ,6号の成功により ふたたび 有人宇宙飛行がはじまります

10月11日
ウォルター・シラー
ドン・イーゼル
ウォルター・カニンガム の3名を乗せたアポロ7号は サターン1Bによって地球軌道上へ打ち上げられ
260時間以上に及ぶ飛行をおこないました
この成功によって NASAはアポロ8号の飛行士を月周回軌道上へ送り込む という 決断をします

アポロ7号 船内からのメッセージ

12月21日
フランク・ボーマン
ジェームズ・ラベル
ウィリアム・アンダース
3名は サターンVによる月への旅へ出発しました
69時間後に月軌道上へ到達
3名の宇宙飛行士は 荒涼とした月世界を目にしつつ
クリスマスイブをむかえた地球に向けて 旧約聖書「創世記」の一説を読みあげました
ケネディ大統領の宣言した 1960年代の終わりまで あと1年ほど
残された時間はわずかでしたが アメリカは月着陸への最終段階をむかえていました

6. 最後のリハーサル(1969年 1月~7月)

アポロ計画の目標期限である 1960年代の最後の年 1969年
"宇宙空間における月着陸船の操縦"という課題がまだ残されていました
3月3日
ジェームズ・マクディビット
デビッド・スコット
ラッセル・シュワイカート
3名を乗せたアポロ9号は 月軌道上に到達
軌道上で マクディビットと シュワイカートの2名は月着陸船に乗り移り
司令船から月着陸船を 切り離しました
つづいて 月着陸船のエンジンを点火
操縦テストによって すぐれた飛行性能が証明され 月着陸船における 初の有人飛行は 成功を収めます

アポロ10号

5月18日
アポロ10号は 月軌道上で 本番と同じような操縦をおこないます
トーマス・スタッフォード
ユージン・サーナン
2名は月着陸船に搭乗し
ジョン・ヤングの操縦する司令船を離れ 月へ向けた下降を開始
この時 高度14,447メートルにまで達し 月面はもう すぐそこまで来ていました
月着陸を目指すアポロ11号の打ち上げは 7月16日に決定
月面へのすべての道は ついに切り開かれました

7. アポロ11号 歴史的な旅立ち(1969年 7月16日)

ニール・アームストロング
バズ・オルドリン
マイケル・コリンズ
3名を乗せたアポロ11号は
1969年 7月16日サターンVによって ケネディ宇宙センターを旅立ちました
12分後には地球軌道上へ到達
2時間44分後に 第3段ロケットへ再点火
いよいよ 月へと向かう軌道にはいります

8. ニール・アームストロング 偉大な一歩(1969年 7月20日)

「イーグルは翼をもっている」
7月20日の朝 コリンズのレシーバーに アームストロングの声が聴こえてきました
アームストロングと オルドリンの乗り込んだ月着陸船 イーグルは
コリンズの操縦する司令船 コロンビアから切り離され 自力での飛行を開始しました

「コンタクト ライト!」
オルドリンは叫び イーグルの足の先端についたセンサーが 月面に接触したことを知らせ アームストロングは降下用エンジンを止めます
「こちら静かの海 イーグルは着陸した」
アームストロングは 地上へのメッセージを送信します

そして 打ち上げから 102時間45分40秒たった その時
ついに 歴史的瞬間が訪れました
「1人の人間にとっては小さな一歩だが 人類にとっては偉大な一歩である」
アームストロングは 人類史上初となる 月面着陸を果たしたのです
20分後には オルドリンも月面へ降り立ちました
月での活動の様子は テレビ中継され 数億人が視聴していたそうです
月面のカメラ撮影や 観測機器の設置 月の石の採集
ペナントの設置などがおこなわれました
このペナントには
「すべての人間のために われわれは平和のうちに来た」というメッセージが 書かれていました
21日には月面での活動を終えて イーグルは上昇し コロンビアとドッキング
2名は無事 コロンビアへ乗り移りました
そしてコロンビアは 7月22日に月周回軌道を離れ 地球へ帰還する軌道へはいります

月面の様子

9. 偉大なる帰還(1969年 7月24日)

1969年 7月24日
3名の宇宙飛行士を乗せたカプセルは ハワイ南西の海上へと 着水しました
3名はすぐに 空母ホーネットによって 移動隔離施設へ送り込まれ 月への旅は終わりを迎えました
こうして ケネディ大統領による
「1960年代のうちに月へ着陸し 無事に帰還させる」
という国家目標は 達成されました
実は アポロ11号が月着陸に失敗した場合のプランとして
NASAは 9月と12月の2回 月への旅を計画していましたが
この年 アポロ12号による月着陸は 11月までおこなわれませんでした

地球帰還時 空母ホーネットに隔離された3人

10. アポロ計画の終わり(1970~1972年)

1970年4月12日
アポロ13号が月へと向かう軌道上で 機械船の液体酸素タンクが爆発する事故が発生
月着陸を断念して なんとか地球へと緊急帰還しました
幸い 死者などは出ませんでしたが この事故により 次のアポロの飛行は大幅に遅れることになります
そのため 1970年において 月着陸は一度もおこなわれませんでした
それでも 1971年にはアポロ14号 15号
1972年にはアポロ16号 17号が 月着陸に成功
15号からは月面車を搭載していたため 月面での行動範囲も 大幅に増え 大きな成果をあげました

アポロ計画の費用は 総額250億ドル
40万人以上が関わったプロジェクトであり
月面を歩いた宇宙飛行士は 12名
月面での滞在時間は 合計300時間
月面での活動時間は 合計80時間
持ち帰った月の石は 合計400キログラムであったと 言われています

そして 1972年12月19日
アポロ計画最後となる アポロ17号の司令船 アメリカは サモア諸島南西の海上に着水
アポロ計画は終わりを迎え 歴史の一部となりました
驚くべきことに この計画以降 50年以上も 人類の月面着陸は達成されていません

11. アルテミス計画 半世紀の時をこえて(~2023年現在)

アポロ計画以後
ソ連との宇宙開発競争が落ち着いたことや"宇宙ブームの終焉"とともに
国家目標ではなくなった月の探査は それほど重要視されなくなっていきました

1990年頃の 探査機 ガリレオによる月面の撮影
それ以後には
1994年 探査機 クレメンタイン
1998年 探査機 ルナ・プロスペクター
2004年 月周回衛星 ルナー・リコネサンス・オービター
2009年 探査機 エルクロス
2011年 探査機 グレイル
2013年 探査機 ラディー
など 月に関するさまざまな調査がおこなわれてきましたが これらはアポロ計画に比べると かなり小規模です

ISS(国際宇宙ステーション)

そんな中 2019年5月
アポロ計画の後継として「アルテミス計画」がアメリカ政府によって 立ち上げられました
この計画に参加するのは アメリカのNASAだけではなく
ヨーロッパの 欧州宇宙機関(ESA)
日本の 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
カナダ宇宙庁(CSA)
オーストラリア宇宙庁(ASA)など 国境を越えた国際的な計画です

計画名の由来となったアルテミスは
「アポロ計画」の由来となった 太陽神アポロンの双子とされる ギリシャ神話の女神です
この計画ではまず 「女性史上初となる 月への着陸」を目指しています
目標としては
①月面での持続的駐留を確立し
②民間企業が月面経済を構築するための地盤を築き
③最終的に 人類史上初の有人火星探査を実現するための次のステップとなる
ということが 期待されています
NASAは 日本人宇宙飛行士も月面着陸に参加させるという構想も表明
2021年4月17日には 月着陸船の開発や運用に イーロン・マスクのスペースXが選定されており
2022年11月16日には 計画の第一段階である無人飛行試験 アルテミス1号の打ち上げに成功
月周回軌道への到達後  12月11日には宇宙船オリオンを無事に帰還させることにも成功しています

2024年には アルテミス2号の打ち上げも予定されています
すでに4名のメンバーが選抜されており 有人での月周回軌道ミッションです
月周回ミッションとしては初となる 女性1名と 黒人1名も参加します
約10日間にわたるミッションであり 月面への着陸はおこなわれませんが
着陸におけるランデブーや ドッキングに向けた試験の実施が 目的となります

以降の計画もあります
2025年以降には 月の南極付近への 有人宇宙船の着陸を目的とする アルテミス3号
もし 人類の月面への着陸が達成されれば 50年以上ぶりの出来事になります
さらに2027年以降 アルテミス4号でも 有人月面着陸を目指す計画です
2023年 5月には アルテミス5号の月着陸船の開発について
Amazon創業者の ジェフ・ベゾスが設立した航空宇宙企業 ブルーオリジンが担当する ということも発表されました

以上が 現時点での アルテミス計画の概要となります
民間企業の関与も 積極的に受け入れていることから
今後 月面での経済活動が発展していくことも 予測されます
アポロ計画の歴史は アルテミス計画によって 引き継がれていくのです

12. なぜ 50年以上も掛かってしまっているのか

有人での月面着陸に 前回から50年以上もの時間が掛かっているのは なぜでしょうか?
振り返ってきた アポロ計画の流れをもとに考えると 時代背景が大きな原因なのだと考えています
・アポロ計画当時はインターネットも普及しておらず 宇宙の情報が少なかったこと
・ソ連との冷戦時代 アメリカは 宇宙開発の勝者になる必要があり 国として力を入れていたこと
・宇宙に対する人々の興味が 今とは比べ物にならないほど強かったであろうこと
・アポロ計画の時点で ある程度必要な範囲での月探査を終えたこと
・"宇宙ブームの終焉" による NASAの予算縮小
など さまざまな理由が考えられるでしょう

NASAは国家が主体となった団体であり こういった団体には 安全性やミッションの目的 必然性も求められるため  「リスクの大きい有人月探査は 現時点で必要ない」という判断が 今まではあったのではないかと推測されます

では なぜ今の時代にふたたび 月探査に力を入れはじめているのでしょうか?

それは 火星有人探査の計画が 大きく影響していると考えています
NASAは アルテミス計画において 火星有人探査への足掛かりになることを目指しているため
月面へ基地を設置し 火星へ向かう際の経由地とするため 有人での月探査は必須となります
また 昨今 中国による 危険で無責任な宇宙開発が進んでいます
2007年には コートジボワールの民家に ロケットの残骸が落下
2021年には インド洋にも 制御不能状態になったロケットの残骸が落下
など 危険な事例がいくつか発生しています
先進的な宇宙開発は 中国が「宇宙強国」になろうとする動きへの抑止力でもあるでしょう
さらに スペースX社などの民間企業が NASAより先に火星へ到達するような計画を発表しており
NASAが世界的な威信を保つためにも まずは月探査が 必要なことなのかもしれません

あとがき

アメリカだけでなく 日本, 中国, インドなどにおいても月探査はおこなわれています
スペースXなど 民間企業による宇宙開発も進んでいくことが予測されます
まずは 50年以上達成されていない月面着陸を楽しみに待ちたいと思っています

今回は「月面着陸の夢 アポロ計画からアルテミス計画へ」をテーマにしたお話でした
最後までご覧いただき ありがとうございました

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