色褪せない君の声
ーーバラバラになりそうだ。
今は排他されかけている煙草を吹かす。
宙に汚い雲ができ、更に汚いエアコンの風で幻のように消えてゆく。
ごみ捨て場から拾ってきたソファにだらしなく寝そべっていた竜之介は、恨めしくそれを睨んだ。
「……ったく、何もかも綺麗すぎだ。この世は」
口汚い独り言まで、この世の空気は見えない箒で掃き清められる。
ーーああ、バラバラになりそうだ。
こんな俺がしがみつくのを許してくれるのは、色鮮やかな過去の記憶だけ。
色褪せない、君の声だけ。
君が言ってくれた言葉さえ霞もうとしている記憶の中で、君の明るい声だけが晴れ渡った空のように眩しい。
今は遠い、君の言葉。
思い出そうとするたびに壊れたラジオみたいにノイズが走るのは、俺が「汚い」せいか。
そう思った途端、ギュッと爪を肉に食い込ませるため、強く拳を握る。
それは、後悔だろうか。それとも、怒りだろうか。
自分でもよくわからない、グチャグチャした騒音のような感情を、血を流してなんとかやり過ごす。
・ ・ ・
君は、本当に綺麗だった。
世界中の輝きをぎゅっと集めたら、きっと君になるんだ。
俺は、君から遠くなるたびに汚くなったよ。
さっさと消えることも許さず、この世は、汚い俺を囚人のように扱き使う。
『汚れ者にだって使い道はあるさ。そう、いじけるもんじゃない』
アイツは嗤う。
いつだって、不遜な笑みを絶やすことなく。
……悲しいだろう?
君を喪った俺にとって、最低最悪の悪魔の囁きさえ、救いだったんだ。
絶望に真っ黒な救いを見出した俺は、嗤うアイツにこき使われる日々だ。
ーーああ、バラバラになりそうだ。
仕事の相手は「人ならず。」
人の形を真似た、質の悪い怪異共。
表向きは売れない探偵で、裏側ではそんな汚れ仕事まがいの事をやっている。
事情を知る探偵事務所には、助手が二人。
そして繋がってゆく、人との関わり。
ーーだから、バラバラになれない。
アイツは嗤う。氷の彫像のように綺麗な顔で。
アイツは微笑する。鋭利な刃に似た輝きを、瞳に秘めて。
『人ってのはね? そう簡単に消えられないんだよ。どれだけ当人が望んだところでね』
明るい少年の笑顔が、汚い俺の日常に涼風を入れる。
穏やかな女性の笑顔が、ボロボロの俺の日常を、優しい笑みで包む。
憎たらしいアイツの言葉が、『生きてみろよ』と、バラバラになろうとする俺を形作る。
ーーそして、何よりも君の声が、まだ耳から離れない。
世界は、俺のことを嫌っている。
あの世も、俺のことを拒んでいる。
こんな歪んだ綺麗好きな世界、こっちから願い下げだよと、いつも吐き捨てる。
だけど、俺は色褪せない君の綺麗な声を知っているから。
だけど、俺はバラバラには、まだなれないから。
・ ・ ・
今日もヤケ気味に、煙草を吹かす。
「仕事だぜ、竜之介くん」
世にも美しく、不遜な女が俺を呼ぶ。
「……わかってるさ、上司殿」
『あの世の番人』である女に扱き使われながら、今日も俺はだらしなく生きていく。
ーー優しかった君は、そんな俺を見て、生き汚い俺を見て、微笑んでくれるだろうか?
・ ・ ・
よく晴れた日。真っ青な晴天。
夏よりもずいぶん淡くなった太陽は、妙にシャンとした姿勢と凛々しい佇まいをした女と、見るからに無気力な青年を照らす。
日差しは嫌いだ。
俺やこの女は基本、夜に生きる者達だ。
竜之介が不機嫌に顔をしかめる中、女は気持ち良さそうに濡羽色の黒髪を風になびかせる。
女は機嫌よく、日差しの中を散歩する。
仕事とは一体何なのか。
そんな基礎情報をこの女から引き出そうとしても無駄なことは、そこそこ長い付き合いの中でよく知っているので、竜之介は黙って彼女に付いていく。
「知っているか? 竜之介くん。私は秋風が好きなのさ」
「知らねえよ、んなもん」
個人の好みを知り合うほど、コイツと仲がいいわけじゃない。
が、この女の方は、千里眼のように一方的に竜之介の全てを知っている。
そう、たとえば……。
俺が、まだ君の影を必死に追い求めていることなんて、この女にはお見通しだ。
「じゃあ今から知ることだ。今日の私はこの爽やかな秋風のおかげで、すこぶる機嫌がいい……君のささやかじゃない憂鬱をどうにかしてやろうと言うぐらいには」
「なに言ってんだ……?」
竜之介は、女の口上に飽きて禁煙の道で煙草に火をつけたところ。
すると、サッと一瞬だけ強い風が吹いて、煙草の火を掻き消してしまう。
「な……」
「なあ、竜之介くん。『彼女』は君が煙草を吸うのは嫌らしいぜ」
夏の残り香が交じる秋風の中に、淡く微笑んだ君を見て、竜之介は火の消えた煙草を取り落とす。
ーー声が、聞こえた。
秋風の中で、安心したように笑う、色褪せない君の声が。
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