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初めての彼氏と初めてのキスと初めてのセックスはだいたい黒歴史


内容はタイトルの通り。

高校時代に仲の良かった友達とビデオ通話をしながらそんな話をして笑い合った。

『真夜中乙女戦争』や『20代で得た知見』の著者であるFさんが、「どうせ愛は間違える」という格言を残している。個人的にめっちゃ好きな台詞である。(ちなみに彼の著書で私が最も好きなのは『いつか別れる。でもそれは今日ではない』である。是非一度手に取っていただきたい。)

恋と愛の違いは今ではなんとなくわかってるつもりだが、あの頃は「恋愛っぽいこと」をするのが楽しかったんだと思う。それが間違いだったのかはよくわからない。でも明らかに黒歴史である。そしてそんな黒歴史を暴露し合った友人も、私と同じ心境であらゆる「はじめて」を振り返った。

振り返れば私は、「本当に好きな人」と付き合ったこともキスをしたこともそれ以上のことをしたこともない。どれも、「好きではないけど嫌いでもない人」が相手だった。好きな人はなんか、畏れ多いというかなんというか、テンパってしまって目を合わせることすらできなくなる超奥手なタイプなので仕方ない。


気が付けばもう3年も恋愛をしていない。
好きな人もいない。
私は惚れっぽくないし、モテる男子にキャーキャー言うタイプでもなかった。強いて言えば、最推しであるBTSのジミンに対してくらいだろうか。彼はいつ見ても可愛いしかっこいいしえろい。ずるい男である。

19年の人生で本気で恋に落ちたのはたった一度しかない。その彼より夢中になれる誰かに今後出会えるのか、出会ったところでアピールする勇気と度胸が果たして自分にあるのか疑問でしかない。


私は10歳になったときに母親から性教育を受けた。セックスをするときは必ずコンドームをつけてもらうこと、そして本当に好きな人とすること。母はそう言った。

今なら母の思いがとてもよく理解できるが、当時はそもそも性欲が理解できなかったし興味もなかった。



理解できてしまった私は大人になってしまったということか…



公園で隣のクラスの男友達とキスをし、深夜テンションで付き合い始めた2つ年上の彼氏とは幾度となくそれ以上のことをしてしまった。

「好き」という感情の本気度は判定が非常に難しい。生ものみたいに賞味期限が早いというか、ぶわーっと燃え上がってさーっと冷めていく「好き」も少なくない。だから判定がめっちゃ難しい。その2人の男子にはちょっとばかり申し訳なく思う。

今思い出すとその初めてたちはまさに若気の至りという感じで、なかなかに恥ずかしい。でもちょっと面白かったりもする。


どうせ愛は間違える、

たぶん恋もほぼ確実に間違える。
そしてまた好きも間違えるのだろう。


間違えて恥かいて傷ついて傷つけて、笑ったり泣いたり、不安になったり期待したり、振ったり振られたりして大人になるのかもしれない。

恋愛ってだいぶエネルギーがいると思う。楽しい時ももちろんあるけどわりと疲れる。正直フリーのほうが楽だったりもする(クリスマスとバレンタインだけは非常にさみしい。私にとってはこの時期の街やデパートの雰囲気が苦痛である。それと地元が頻繁にお祭りや花火大会が開催されるところだったので、そのたびに虚しくなったものだ)。

それでも、恋をして、恋人の声を聴き笑顔を眺め、傍で静かで穏やかな時間を共に生きることを渇望する自分がいる。


間違えるし傷つくとわかっていても尚、恋愛に憧れる私は懲りていないのだろうか。3年も恋愛と無縁なのだから記憶が美化されているのは否めない。しかし自分がかなりの奥手でかなりの恋愛下手である自覚は大有りである。それなりに努力せねば。それでもそろそろ恋がしたい気分である。






…ん?

待てよ。

もしこれから恋をして晴れてその人とお付き合いすることになったら、それは私にとって初めての経験になってしまう!
キスやそれ以上のことをしたら、それもまた初めてである。なんせ私は「本当に好きな人」と恋愛をしたことがない。


あちゃー、、、


また新たな黒歴史を生産することになるかもしれない。


どうせ愛は間違える、恋も好きも間違える、

それでも恋愛がしてみたいと私の心が目をキラキラさせてそう言っている。だからその時が来たら、迷わず恋愛をすることを選ぼうと思う。








まあ正直に言うと、やっぱり健全で幸せであたたかい恋愛がしたい、な。


うん、しよう。





以上。



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