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さる素晴らしすぎる映画への話

理解出来ない自分への晩夏に挽歌

#映画感想文  変化球での感想文ですね

自分への絶望


世の中には、自分の1000倍賢い人で溢れていて
その人達が決して特別なのではなくて
でも、その人達が感じた世界が、この世界の標準を作っている現実と
その標準的な気づきが、僕自身にとってはメチャクチャ ハードルが高く、自分が持ち得ない感性と、洞察力と、分析力から来ていると感じたことです。
それは僕にとっては、呆れ返るほど、極めて衝撃だったわけです。

それにもまして、そのことを僕が痛烈に感じたのが、日々の暮らしの中ではなかったことも、不思議でした。

では、僕は何処でそれを感じたのか?
それは、数年前に公開された映画でした。
映画の中でそう感じたのではなく
それはこういうことなのです

絶望へのプロセス

①その日本映画は、海外でも高く評価され最高の賛辞を浴びていた
出演するのは大好きな俳優さんだった 題材も舞台もとても好きだった

②僕はその映画を観て僕なりの解釈をした

とても面白い不思議な映画だと感じたけれど、僕の感じた面白さは、僕の本音じゃないよね と自分の声が聞こえてきた。
外部から流れ聞いていた、情報によるもので、僕自身はこの映画を、面白いとは感じていないのだと考えたのです。

③その映画を僕は繰り返し観ていた
あくまで個人的な感想として、この映画は極めて長い映画なのだけれど、僕自身がこの映画で最も面白いと、感じさせるのは、この映画なの中に登場する登場人物の一人が劇中で語る、奇妙だけれど面白すぎる物語と、その登場人物の境遇と生き方にほかならず。極端に言えば、 #タイトルバック  が出る冒頭の、その前の時点で完結しているとさえ感じていて、そこが僕の至った感想だった。 #前世が八ツ目鰻の少女の物語 #夫の前では見せない妻  この二人の女声が生きる それそれの #パラレルワールド  こそが、この映画のコアだとそう信じていた。

④この映画のネタバレと評価をWeb 上で読んでしまった
僕の感じた、パラレルワールの二人の女性の物語は、実は表裏一体、彼女は自分自身の物語を、前世が八ツ目鰻の少女に重ね、起きている現実を表現を代えてアウトプットする。
さらに、この映画の劇中を通じて演じられる舞台作品
ここにもまた、主人公たちの日々を重ね合わせる。
そんな評価を読んだのです。

このネタバレ評論は、実に本当に総てに辻褄があっていて、これこそが、この極めて高い評価を得た理由だと説かれれば、もはや、これに対する反論の余地などなく。

この映画を見た人々の多くが、この作品を、この評論の様に適正に理解して称賛を与えているのなら、私自身は、この程度の理解力すら有していない事に愕然としたのです。

持てる者の安心と 持てない者の悲劇

たった一節のヒント

気づき

それが、ある人間 

それがない僕自身

僕はかなり愚かだ

余談の一言

この女性が亡くなる日の朝

彼女が自宅のデスクでコーヒーを飲んでいるだけのカット

何の台詞もない

この映画を通じて、このシーンが一番好きだと

そして 気づきの出来ない僕が今になっても
 強く感じている事があります

冒頭のタイトルバック前までで 
映画としても
最高の短編が生まれていると思うのです




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