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あるべきモノがそこにある       white linen blouse


見る 聞く 感じる


ときに人は、あるべきモノがそこにあることを
目の当たりにすると
何故か、驚いたり、感動をおぼえたりする
不思議なことだと思うのです。
あるべきモノがあるべき場所にあり、それを目にしただけなのに・・
それは、私達が知らず知らずにうちに、あるべきものが自然とそこにあることを、良しとはしない 何処か隠すことが 良いことの様になってしまつていて、むしろあることが違和感になる、そんな文化が生まれた裏返しだと感じています。
それを隠すことに合理性があるのか無いのか、隠すことのメリットと弊害。
もはや、過去の踏襲を繰り返す内に、それを議論することも無くなったからだと思うのです。

この感覚は目で見るものだけとは限らないのです。
あるべきものがあることに 耳で気づいてもいいし 感覚で気づいてもいいのです。あるべきものがある とそれは、驚きと感動になります。
例えるなら

嘘には良い嘘と 悪い嘘が あると言います。
嘘をつかれていて、何かのきっかけで、その嘘の裏にあるものが解って、本来あるべき姿が露呈します。会話でも、現場でも、気付きでも 同じです。
嘘が嘘だと解ることで、見えるのは、真実。
それが、やさしい嘘だったのか 貶めようとしたトラップだったのか
それを知った時 やはり あるべきものがそこにあっただけなのです。

白ほど残酷な色はない 

白は美しい色です 汚れなく 文字どおりの潔白を感じさせます。
でも、本当にそうなのでしょうか
私は、そうだと断出来る反面で、これほどまでに残酷な色は無いとも思うのです。
ものを隠したいならば、濃い色の方がいい、黒がいい 紺がいい、もしくは隠したいものと同じ色合いがいい。
だからこそ、白はものを隠せない色で、透けて見せてしまいます。
とても残酷なまでに、そして、白はまた、白いものを隠してしまいます。折角白いのに、その白を主張するものを白く隠してしまいます。
これもまた残酷なことです。

この文章で言いたいことは何も書けていない

白くサラリと、ある出来事をお伝えしたいのですが
どう表現しても、自分が感じた ある種の感動にはならないから
全然違う意味の、真逆の方向に解釈されえてしまうのが嫌だからです。
そう、冒頭の自分で書いた内容

隠すことが 良いことの様になってしまつていて、むしろあることが違和感になる、そんな文化が生まれた裏返し

本当は、純粋に素敵な景色を観ただけなのですが
そう受け取ってもらえないと思う根拠に、自分の中で言い訳できない
ものがあるのだと思うのです。

いつか、普通に綴れる日が来ることを願って。

少しだけ 書きたかった出来事を・・・

朝の通勤途上、その光景に出会ったのです
極めて日常的な景色の中
9月と言うのに信じられないくらいの強い日差しと 高い温度が朝から始まっていました。
銀座1町目の地下鉄出入り口の近く
十字の交差点でした
その人は、少しだけサイズ大きめのリネン素材の白いブラウスを着て横断歩道を渡っていました、夏のスカートにサンダル。けれどそのままオフィスに出ても充分に似合う、反面でそのまま芝居を見に行っても大丈夫、そんな印象を受けました。いずれにしても、その姿はとても美しかったのです。
顔も解らず、何も解らずただ遠目にとても美しい、沿う感じたのです。
私も同じ交差点をその人が渡る横断歩道とは道幅一つだけ距離を開けて並行する横断歩道を渡っていました。私から観てその人は、左側に位置しています。渡り終えると、その人は右に、私は左に進みました。
だから、道幅ひとつ分の丁度中間地点で私は、その人とすれ違いったのです。
すれ違ったその人は、遠目に見た印象そのままで、リネン素材のブラウスは涼しげで且つ、とても質の良いもので、夏のスカートも麻混のふんわりした風合いながらきちんと造り込まれた良いものだと解るもでした。
それにもまして、彼女の着こなしの中には、そうです
今日のこの記事の主題になる あるべきものがきちんとそこに見て取れたのです。
それはとても自然に それ以上でも以下でもなく
海外のファッション雑誌なら 良く観られるそれではあるのかもしれない
それどころか、日本以外なら当たり前の景色なのかもしれないと
思ったのでした
あの日、旅先でバリで見た景色の様に

そして、この以前に書いた #note のバリ島の話みたいに

#自然 #自由 #ありのまま #美しい #リネンブラウス  


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