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意識上とそれ以外と

多分、あなたは気づいていないよ。
こちらが影響を及ぼしているのではなくて

「あなたにその目線が加わった」という
あなた自身の進歩・成長でしょ

外はいつも外だった
そしてあなたの内側が受容れ始めた―――
ということだよ

だからあなたのもの
誰かが特別に優れているのではない

(10/20メモ)


シンクロの弊害も?

注意したい面はきとんと存在している訳で。

・自他の境なく
・”全体”として見えてくるなどは、

散々経験してきたケースとして、あまりにもタイミングが一致してしまう事によって、(一応)両者にとってはイヤな意味での内容が、タイミング的に一致してしまったが為に、大変おかしな誤解が生まれてしまうということ。

これはどう考えてもどちらにとっても、誰にとっても良くはないのだけども、よくよく分解(考えて)みれば、まったく紐づけできないコトである事も分かる…、つまり「思い込み」。

世の中の多くの事は、私たちは「思い込んでいるだけ」であって、本当に正しいことなど大して分かっていないのに、一番それらしく近いものを”正しい”または、”信じている”というということで採用している。


確かに本当に、そう思ってしまう”結び付け”行為も自然に行ってしまう動作の一つと思うのだけども、だからこそその様な時は、強く意識して”違う”という風に、自分と他者を分けて考えるという様に、今度は意図的に”分離”させなければいけない訳で。

何でも全体・ひとつとして考えられる事が良いと言う訳ではないという事。

その”誤解”、強い思い込みによって、とんでもない「事実」が作られてしまうのも、この世界なのでその面はとても注意が必要な所と思っている。

(想定は、不特定多数向けに発信されているSNSにおいて、あたかも”自分のこと”という様な思い、またはソレとアレという様な勝手な結び付けを行ってしまったりを指していて、負の側面で捉えた場合)

それはそれら両方、同じ物を目にしている観測者においても事実「その様に見えてしまう」というのはあり、脳の働きとしてそう結ぶ事が自然な働きならば、コトによってはそれを見破ることが、私たちの意思によって行える事でもあって、その判断ができなければ、楽しいシンクロがとんでもない事でシンクロしてしまうことになる。

そしてそれも当然、予期せぬ事としてただタイミングが合ってしまっただけ、という事なのでそれは本当にどうしようもないのだけども、「重なる」ということは、読み手の都合の良い内容ばかりではなく、同じようにイヤな内容もあるということ。

その両方はある、という事を少しでも頭に置いてあれば、「たまたま」と、受け取り手(投げ手も同様)は気分と切り離すことも可能な訳で、そもそもへ返り、「直接のやり取りで繋がっていない」という事を明確にしておかないと、思い込みは本当に危険なこともある事は、様々な出来事などからも分かる通り。行き過ぎれば迷惑でしかない。

タイミングが合ってしまうというのは、本当に酷なこともあるので、誰もがきちんと分離の意識があることが必要なスキルでもある様に思っている。(分からなければ、相手に確認するのが一番正しい)

私自身がどちらも経験したことだし、そしてこの解釈さえも当時「この私が両方をその様に捉えただけ」という事も言えてしまったことなので、直接確認したもの以外の、”偶然”にもピタリとハマってしまうタイミング、シンクロに関しては内容の精査をしていないものは、自らの思考そのものに注意が必要ということ。

これが、「自分の中に引っかかるもの」がなければ、それを”自分のこと”と当てはめることもない訳で、端から他人事となり誠に複雑な内面がそこに絡んでいる事も分かってくる。


単なるタイミングによるモノコトの重なり、シンクロ。

ココロが絡んだ内容を想定して書いてきたけども。
そこには自分の内面がしっかりと観ることもできるという側面もあり。私は読む側の時、自分の内面をそこに散々見てきたようにも思う。

そしてこれは、一致として捉えられることから、抽象化されその地点で”一致”させる高度なものもあったりと、本当に言葉の意味からのシンクロを探せば様々なシーンが当てはまるように思う。

その中で。
昨日記事の終わりに書いたようなシンクロは、本当に上側と言うより下側でのシンクロ状態で、(説明上の意味で)影響を受けた・与えたことによるシンクロというより、何と言うのか、空間に合って引き出されてくる(?)とでもいうような人の意識”外”という感じがするものがあるという事を感じている。

それを、すべては繋がっている”無意識”側の働きが活発になっている…、そんな風にも感じる。

(10/21メモ)

シンクロするということは。
同じ現象が起きる、とは私は思っていなくて。

正反対の事もまた”同じ”として見ている。
それを人は良いシンクロ悪いシンクロと表現する。


表現として書いてきたのだけども、少し脳内に入ると。

そう捉えるような場所が働いている、ということ。よく考える私たちが使う頭の部位ではなく(個=私)、全体=私と捉えるアタマが働く状態がある。

その状態にあれば、”私を抜いて全体を考える”などとしなくても、それが当たり前という考えをする時があるということ。詳しくは説明できないけども、退行して脳を分けない”未分化”へ戻すかのようなイメージ。

そういう状態から私たちは進化して、”私”を自覚したのだから、その「前」の状態があれば、”全体が主”とする事は可能。所謂「古い脳」を使うことで、私達が自覚する範囲、”以外の”ことが観えだす。

そこの動きが活発になってくると、自も他も分けることない一本線でもない「同じなんだよなぁ…」が出てくる。

そんな風に感じている。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!