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抽象化されていく

強烈にシンクロしてくるアルゴリズム。

PCを開けば、「国語」「言葉の理解」の記事が上がってくる。それはいくつもある中で私が拾うものだけど、”その候補”としてしっかりと、大したタイムラグを起さずに「上がってくる」というのは、もの凄いことだと思う。

人は”アナログ”だから、そんな風には”反応”しないでしょう?

今までを振り返って、今までと同じタイトルの「ザッと見」から、8つしかないタイトルの中にきちんと入ってるって。機械の精度って半端ないと思う。

タイミングをズラせる。
外して意図的に選択することができる、というのはアナログであるこの「人」の出来ることだと思う。

(”過去ものの再掲”ではなく、最新記事としてきちんと上がってくるタイミングは最高に素晴らしい)


昨日noteの〈比喩〉の中の文言。

【ボリュームがあれば、何と何がこの先に結ばれて行くかの、”要素”をたくさん抱える事が可能、という風に捉えている。】

これを少し書きいていきたいので続きを。


その、何時間か前に私は「抽象化すること」を頭に引っかけていた事もあり、それが尾を引いている(干渉してきた)と感じた。

もっと具体的には、音声noteで話したのを今思い出し、今回の音声は土曜の早めの時間に録り終えていたので、その事を忘れていて「なんか、どこかに出力したよな…?」という、これもまた引っ掛かりだけがあった。
(※今回これを書いているのは土曜の晩)

・・・

さらにもっと言うと、”抽象化”の話は元々5/9にメモから書いて行こうとしていたのだけど、アタマに映像のカタチは出来上がっていて、それを言語に直せばよかったのだけども、その過程もまた視えた時に、出力するのをやめてしまった、という経緯がある。

そしてそれが今また、思い出されるというのは、勿論「抽象化」という言葉を使った事による、引き出されたものと思うけども、それ以外の所では、結局こうしてこの5月からここまでの間の特に特定した具体的な話などはせず、長期の「ツラツラ」のこの部分が正に「抽象化へ向けた」プロセスだと、私自身が感じた所だった。

具体的世界での、文字通りの”抽象化する”という行いとは別の、人の脳の機能としてのハタラキをその流れの裏側に視ていくような、そんな感じがした。


何度かのくり返しで自分のアタマにクセ・パターンが出来上がる訳だけども、それは、具体的な例えば「小さなコト」のそれ自体のくり返しで”そのコト”のパターンが出来上がるのと同じように、もっと大きな背景側と言うのか、大きな仕組みの方もまた、「パターンを作っている」という風に感じる。

これが昨日の所で言う「大きめの話」という所と重なる部分になる。


この「大きめのパターン」という部分が”クセ”になるという事は、具体から離れているという事もあり、私のイメージでは「応用」という様な捉え方をしている。

そこから簡単な説明を表現するなら、「その応用によって括り方はわかる」という様なところか…。「小さな事から離れている」という所が、それに拘らない”大きな括り方”へ繋がり、またそれのくり返しによって、応用は強いクセ付けになり応用は効く…という様な循環。

そのくり返しの中では、様々な情報も一緒に入ってきたり、(自分の)精度の低いものがあったりと、そんな色々な事も含めての循環を経て、大きなパターンは訓練されて行くように思う。


そして結局、昨日の記事内では、「そのコト直接の動作」という書き方をしているけども、何某かの”具体的な動作”はしているわけなので、それが直接かどうかに関わるかというより、「意識がどこに置かれているか」ということへ言い換えが可能になってしまう。

それも、「意識をそこに置いている」という自覚などなく、ただその様な”運びの中を淡々と”という、ある意味現実が暈された様な関わり方がそれを現している、という表現はなんとも「掴めない言い方」になる。

そういう言い方に依ってでしか近い説明ができないのが、自覚できる意識の向こう側、背景側という様に思う。

・・・ ・・・ ・・・

因みに、5/9の✖で消されていないメモの内容は。読まなくても映像は脳内にあるので思い出せるのだけども。

全く異なる「具体的なこと(話)」で説明をするつもりだった(笑)

それは自分の若い時の、仕事を通したエピソードを通して書こうと思ってメモしていたのだけども、何か、もっと詳細に説明ができるのではないか…、と思って、出す事はやめた経緯がある。

時を経て。

説明が詳細になったかどうかは、もっと不明になった(笑)

だけども、今この事が集まりだしたから、「出そう」と思ったのだと、プッシュされるままに書いた。

具体的なことをしながらも、もっと大きなコトもしっかりと動いている。その背景側に気づくかどうかは、この自覚側の意識にかかっている。


こちら側。
”自分”という存在に一番近いはずの自覚意識。

それは時に、自分から一番遠く、最終的にやっとココという場所に辿り着く所でもある。

不思議だねぇ。
ココなのに一番遠いって。

人は一体、どんな奇妙な旅をしているんだろう?

それを知るために、人生と言う時をかけて旅しているんじゃないか、そんな風に思う。

(メモより)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!