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シンクロニシティ

今までに何度も、「”私が”現象から感じることを」シンクロとして触れて来ている。

きちんと見るべき内容のものでしっかりと読めば、シンクロは不思議現象ではないという事はハッキリと分かるものなんだけど。

まずそもそも「理解」というのは、本当におもしろくて、そこに書かれている文章はなんら書き換えられていないであろうに、それが「今の自分」が読むと、別の角度”理解”が現れるもの。

それがつまり”目線が変わる”ということでもある。

今日書いていきたいのはここからなのだけど、その前の説明として、私は先にしっかりとした知識を入れない(入れ過ぎない)という事をスタンスとしてとっていて、現代の世の中で調べれば簡単に判るような事も「自分の行いを経て肚に落とす」ことを目指して探究しています。

なので、説明としては何ら変わった事でもないと思うのだけども、私のここしばらくの間に感じていた「こういう事だよな~」を、流れから感じたままに書いていきます(過去に触れた表現も含むと思います)。


どんどん、外の世界とシンクロするようになっていった。ここで言うシンクロは、しばしば記事内で言う”人工シンクロ”を、一応分かる範囲では省いた話。

『わっ、びっくりした( ゚Д゚)』

そんなタイミングで届く・目にする情報がどんどん増える。まずそれに慣れるまで、「すごいな」と驚くばかり。そしてそれがある意味”当たり前”という頻度になってくると、今度は当たり前だから「その目線から見る」ことができる…冷静な目線が増えてくる。

『自分が投げた(発進した)モノが、(何かを目にした)瞬時に分かる、という事だよな?』と。

一時は、脳のピント合わせの速さを猛烈に感じていた。外の現象を見て「何も思わなければ(気づかなければ)」、それに対してシンクロである事すら分からないのだから。


まず、太字部分を解して書くと、自分が分かっている”範囲”というものがあり、それが普段自分の抱える”自分という枠内”だとして。この境をクッキリ分けてしまっていた状態が緩くなるというか、フォーカスとぼかしのピント調節が速くなると言うか、境を挟んではその様なことが起きている、と感じた。

それはつまりどういうことかと言うと、自・他を分ける境界の曖昧さを示していると私は感じる。その境界が緩んでいなければ、それは「他者のできごと」として、くっきりと”自分”というものから分離して把握されるものだから。

コトとして”同じ”が起きているのに、その現象を他者のできごとという風に捉える限りは気づかない…シンクロとは感じないということ。(これは、言葉などが”同じ”という分かりやすいケースを念頭に置き書いています)


ここで、心理的な話では、「シンクロは、変容のプロセスで起きてくる」という様な事を目にしたのを思い出す。

きちんと記事を探せば恐らくあるのだけども、(どの様な言葉を使っていたかは定かでないが)「認知が絡む」ということと、現象から感じることとを結び付けた。

今までの自分が、くり返し続け、または捉え方、変わらぬ受け取り方をくり返した事によってクセづいた強固なパターン。それの”変容”の過程で様々なシンクロを目にしていく。


話しを少し戻せば、クセが幾らかでも柔らかくなっていく程に「シンクロには気付きやすくなる」という事が言えてくるという理屈になる。

ここで書いているのは、「自分の発信が先」の話として書いているのだけども、考えれば自・他はどこから、どちらから何が始まったなどを明確に決めることなどはできないというもので、だけど一応ここまではその体で書いた。それは、ここで書いているのは「私」という存在だから、”その目線が中心になる”というもの。


で。
その無意識に当たり前に持ち続けた、今までの”認知”をゆるめていくという事が、色々な目線が増えるという事でもあり、目線が増えればどんどん今まで視えなかった角度のものが全方位的に見えだす、ということが観えてくる。

一方向ばかりがよく見えていた状態から、あちこちが視野・視界に入っている状態が出来てくる、と言えるのだと思った。

書きながら、幾つかの表現が既に引っかかるのだけども、

・シンクロに気づきやすく…→見えなかったものがやっと普通に見えるようになっただけ
・視野・視界に入っている状態が出来てくる…→それが当たり前

この表現で判るように、「全体(全方位)」から見えているのが”本来”といっているのであって、今までのクセがあるから、自然に書けばこちら側という”わたくし目線”の表現になっている。

全体側の目線が”普通”という切り替えまでには、この様な気づきから「発する自分の言葉」を観て、「あっ…」となり、自分の目線の向きを知って改めて”向き直す”。そんなイメージ。認知に気づきゆるめる(修正など)。


この流れから如何に、クセづいた”自分の目線”だけで物事を見ていたかという事が分かる「認知」。

必要であれば、今までのそれ自体を捨ててしまってもいいけども、先日書いたように、多角的に少しずつでも全方位から観ることが増えていけば過去のそれはほんの一部でしかなく、存在として薄い。

まずそれで「成功」なわけだ(*^^*)

・・・ ・・・ ・・・

シンクロの一部しか書けませんでした。「自・他」でなされるそのシンクロのこととか、この周辺の話はまた明日に書いていきたいと思います(*^^*)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!