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いつも耳を閉じている

誰もいないだろうと思って、夜の公園で花見をしながらコブクロの「桜」を歌っていたら、物陰から酔いつぶれていた風のおっちゃんが現れ、ハモってきた。春の到来を感じた。

周りを見渡せば、10人に3人くらいはイヤホンをしている。

ただただ真顔、だけど少し体が揺れている人は音楽、クスッとわらっている人はラジオ、一人で急に話し出したあの人は電話。

街中で自分の空間を楽しんでいる。電車のなか、信号待ちの道路、肩が触れ合うほど近くにいるのに、どこまでも他人。家を出ても、どこまでもいつまでも酸素カプセルくらいのパーソナルスペースを維持している。世間の音に無関心。誰が近くを歩いてても、気にしない。というか認識すらしない。

ためしに近づいてみる。後ろ5mあたりから徐々に距離を詰めて、4m、3m、2m、1m…気づかない。そのまま真横を追い抜かしてようやく、ビクッと肩を揺らす。

いつも耳を閉じている。
それなのに、常に何かを聴いている。誰かの話し声、歌声、楽器の音。どこに行くにもイヤホンで耳を閉じて、ラジオや音楽を聴いている。コンテンツとしての音、いわば作品を聴き続けている。信号機や車、鳥の鳴き声や誰かの足音は、耳に入ってこない。
コンテンツ以外の、音を聞くことがめっきり減った。

今日はイヤホンをせずにいこうかな、と思っても、やっぱりラジオ聴きたいな、と耳を閉じてしまう。
どこでもいつでも一週間分の好きな番組が聞けてしまう、radikoのせい。

通勤電車で昨日の深夜ラジオを聴いていたら、思わず笑ってしまい周囲の目がこちらに。
夜道、誰も居ないだろうと思って音楽を聴きながら歌っていたら、後ろから人が追い抜いてった。
雑踏が聞こえないくらいの音量にして道端を歩いてる最中、知らない人が話しかけてきたけど無視をした。気になって後ろを振り返ったら別の人に道を聞いているようだった。

空間と音がばらばらな、ちぐはぐな生活は、そうじゃなかったら知らなかっただろう恥や気まずさ、後悔を持ってくる。たまにおっちゃんがハモってくる。

恥や後悔は買ってでもしろ、と父に言われたし、それはそれでいいんじゃなかろうかと耳を閉じて、また恥をかく。

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