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ギリシャ語の時間

"あのころ僕が取り組んでいた主題を思い出す。闇のイデア、死のイデア、消滅のイデアについて、明け方まで君と僕が交わした長い、何の役にも立たない寂しい議論を。"2011年発刊の本書はアジア人初マン・ブッカー賞受賞の著者が男女の生まれる言葉と死滅した言葉が出会う刹那を描いた物語。

個人的には、参加した読書会ですすめられて、著者の本を初めて手にとりました。

さて、そんな本書は若い時から異変を生きてきた、また人との関わりにおいて大きな喪失体験を持っていることで共通点のある二人の男女、視力を失いつつある男性と、言葉を失っている女性が【古典ギリシャ語の講師と受講生として出会い】対話を重ねていくのですが。

まず、読み進めながら思い出したのは、やはり訳者と同じく、する(能動態)』や『される(受動態)』の【どちらでもない第三の態『中動態』がかってのインド=ヨーロッパ語に存在していた】事を解き明かして話題となった別の著者による『中動態の世界ー意志と責任の考古学』でしょうか。あえて今は使われておらず、実用的でもない古典ギリシャ語を物語の素材とする事で、二人の【どちらともいえない出会い、そして再生】がうまく描かれているように思いました。

また、著者の作品には初めて触れましたが、翻訳を通じても伝わってくるカメラがずっとまわっているような映像的、詩的な言葉のリズムはなかなか独特で、まるで美しいミュージックビデオを観ているような。そんな読後感を終始感じさせていただきました。

言葉にしずらく、静かだけど。確かな関係性を描いた作品が好きな人、現代韓国文学に触れたい人にオススメ。

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