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禅銃

"と、その装具に驚くべきことが起こった。手も動かさず、両腕も脇から離したわけではない。なのに、その背にかついだ数丁のライフルが自分の意志で動きだし、〈小姓〉の頭と両肩の上に浮かんだのである"1983年発刊の本書はまさにセンス・オブ・ワンダー!ワイドスクリーン・バロックの傑作。

個人的には"軽薄だがアイディア満載で、壮大かつ華麗なSF"を【もっとも魅力的な分野】としてブライアン・オールディスがワイドスクリーン・バロック」と提唱、その『国内での有名作』として本書を手にとりました。

さて、そんな本書は繁栄を極めるも斜陽の時を迎えつつある銀河帝国の一艦隊が辺境惑星に"徴税"に訪れる提督アーチャーの描写から始まったと思うと、視点はすぐに切り替わり。表紙にも登場するマッドサイエンティストにより創り上げられた人猿混合のキメラ、パウトが偶然に禅銃(ぜんがん)を手に入れ【ブシドー極めし伝説の超戦士】〈小姓〉池松八紘との出会いが描かれる。と、とにかくこれでもか!と『後退理論』他の詰め込まれた設定、物語の展開も風呂敷を読者の心配をよそにスケールを広げに広げていくのですが。

まず、冒頭の豪華な帝国宇宙船の描写から脳内では某銀河英雄伝説、ちょっと状況は違うけれど【キルヒアイスによるカストロプ討伐】と重ねて優雅なクラシック流れるイメージを浮かべていたので、出生率の低下で人類種が足りなくなって、提督以外の宇宙艦隊人員が例えば副官が知能を高められたミニサイズの象だったりと実際には【まるで動物園のような状況】なのに度肝を抜かれてしまった。

また、そんなのは皮切りにしか過ぎず、設定からは本来なら同情を寄せがちなはずのキメラ、パウトがどうしようもなく品性下劣だったり、ブシドー極めしとされつつ、日本刀ではなくファンネルの様に【ライフルを遠隔思念操作して砲撃を加える】池松と、昨今SFと言いつつも『別に日常学園ものでも違和感なくね?』的なテンプレSFにどっふりな私を揺さぶり続けるも、ラストは意外にも【破綻なく終わりを迎える】のもとてもユニークだと感じました。

ワイドスクリーン・バロックの代表作として。また理屈じゃない『何でもあり』こそがSFの魅力。と感じている人に、ぜひオススメ。

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