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経済の文明史

"私が願うのは、生産者としての毎日の活動において人間を導くべき、あの動機の統一性を回復することであり、経済システムを再び社会のなかに吸収することであり、われわれの生活様式を産業的な環境に創造的に適応させることである"本書は経済人類学者による市場経済社会の特殊性と病理を指摘した警告的論文集。

個人的には、250年前に宗教家によってつくりだされた【比較的新しい概念であるエコノミー】について。社会主義国の崩壊後は特に最早"神の見えざる手"に任せておけば何とかなる的な【市場経済を盲目的に信奉する論説ばかり】な現状に疑問を感じて本書を手にとりました。

さて、そんな本書は著者の『古代帝国の商業と市場』をベースにして、経済学や国際関係論の日本人研究者が国内向けに著者の10の論文を『市場社会とは何か』に3つ、『現代社会の病理』に3つ、そして最後に『非市場社会をふりかえる』に4つ。とグループ分けして収録しており、総じて【19世紀以降の経済(市場)が社会と文化を決定する近代資本主義は決して普遍的ではなく人類史において"大転換"であり特殊】と述べているわけですが。

まず印象に残ったのは、現在のパースペクティブな考え方で古代社会を捉えたり、ましてや【遅れているとか誤りである】と意味づける事への懐疑姿勢。具体的にはプトレマイオス朝のエジプトでは貨幣より前に銀行の支店業務が発達していたり、古代バビロニアでは交易が既に行われていたが【それらは市場でも市場経済活動ではなかった】あるいは、アリストテレスの経済論は『富の追求欲求を無限』とする現在感覚で捉えるべきでなく【善意(フィリア)を価値基準とした時給自足的共同体の維持活動】との指摘は相当に斬新で価値観を揺さぶられる感覚でした。(『ファシズム』をキリスト教の堕落と社会主義の崩壊と結びつけているのも独創的)

また著者の主張からは確かに既に凋落したかにみえるマルクス主義の影響を感じはしますが、しかし。当たり前の様に受け止めている『労働(人間)』や『土地』といった自然物、そもそもが手段であり善性に基づくコミュニケーションツールであった『通貨(貨幣)』が【市場経済によって『商品』とされ、多くの人間を破局に追い込んだ】との指摘は、以前読んだ『スペクタルの社会』(ギー・ドゥボール)とも共通する考え方で『人類史』として経済を考えるにあたり、また昨今話題になっているブロックチェーンによる暗号通貨技術やベーシックインカムの可能性を検討する際にも有意義な視点を与えてくれているように思えました。

経済優先が社会を支配してしまっている現状に強い違和感を覚えている誰か。また人類史としての広い視野で経済の可能性を考えたい方にもオススメ。

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