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物語『京都学派』

"もし、あえて『京都学派』と口にするなら、思うにそれは、次のごときものとなろう(中略)師弟ならびに弟子たち相互の間にゆるやかに誕生してきた、知的・人格的・学問的なネットワークの参加者・形成者の謂いにほかならない"2001年発刊の本書は豊富な資料、研究に基づく恣意的な『物語』

個人的には西田幾多郎たちが散策した事から名づけられた『哲学の道』を訪れる機会が最近あったことから、所謂『京都学派』の人間関係について知りたい。と本書を手にとりました。

さて、そんな本書は数ある『京都学派』本の中でも異色というべきか、著者自身も哲学の研究者であるにも関わらず【"肝心の『学』については、ほとんどかたられていない。"】のが特徴的で。

『京都学派』の主たる人物の中で、ただ一人の京都生まれ、京都育ちの生粋の京都人にして『最後の京都学派』下村寅太郎が没後に残した当時未発表だった手紙や手記、ノートといった"事実"を豊富に引用しながら、とはいえ"すべての人たちに光を当てることなどどうしてできようか"と、著者曰く【恣意的に取捨選択、独自の視点や判断で】ヒストリーではなく、ストーリー(物語)として構成しているわけですが。

率直にいって、哲学や『京都学派』に詳しいわけではなく、表題の『物語』から迂闊にも、てっきりフィクション的な脚色も含めて西田幾多郎と田辺元を中心にした師弟間の友情や葛藤がわかりやすい『エンタメ歴史青春小説的に描かれている』と思い込んでいた事もあって。そうでは全くなく、ある程度は『京都学派』自体はもちろん、そう呼ばれていた人のことを【既に知っているのを前提に】して【コラム的に展開していく】のには(自分で補足して調べれば良いだけですが)戸惑いました。

一方で、唯一の『帝国大学』であった【東京帝大(現東大)の支校にあらず、又小模型にも非ず、全く独立の一大学なり】と初代総長の木下広次が宣誓した(らしい)様に、今にも繋がる官僚養成所としての東大ともまた違う、京都大学の【独自の校風がどうやって成立し熟成されていったのか】がよくわかって面白かったし(『三四郎』の紹介にもなるほど!と)また"『学派』などという人工的な枠組の前に【まず『人間ありき』】"と著者が言うように、『選科生』としての若かりし時の屈辱を告白する西田幾多郎、熟年にして燃え上がった田辺元と野上弥生子との男女のやりとり、三木清の周囲からも呆れられる放蕩ぶり等々【新たな人間性が伝わってくる生々しい引用】は新鮮で興味深かったです。

『京都学派』について。哲学や学問研究以外の視点でも知りたい誰か(西田幾多郎と違って)戦後に著しく評価を下げた田辺元を再評価したい方にもオススメ。

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