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日本三文オペラ

"『…どや、おっさん』と彼はいった。『ここは寄合い世帯や。ええか。住んでる奴は朝鮮、日本、沖縄、国境なしや。税金もないし、戸籍もいらん。南鮮も北鮮もないのや(略』"1959年発刊の本書は大阪城の旧砲兵工廠で生きた、実在の泥棒集団アパッチ族の姿を取材をもとにユーモア、風刺的に描いた快作。

個人的にはインバウンド向けにお洒落観光地に整備された大阪城の片隅に、ポツンと放置されたままの廃墟『旧大阪砲兵工廠化学分析場跡』を眺めた際に本書を思い出し手にとりました。

さて、そんな本書は今ではすっかり【2度づけ禁止の串カツ】で有名な新世界ジャンジャン横丁と、そこを放浪する"あらゆる属性を失ってすでにひさしい"『都会のひき肉』フクスケの【陰鬱で濃厚な描写】から始まり。

そのフクスケが『煮込みとモツ丼』を女から奢ってもらう代わりに、大阪の旧大阪砲兵工廠(別名"杉山鉱山")に埋もれている鉄骨や鉄屑を盗む(作中では"笑う")仕事にスカウトされ、泥棒集団にして【ある意味では『理想郷』】の"アパッチ族"へと合流してから、ドイツの劇作家ブレヒトによる社会風刺劇『三文オペラ』を意識したような物語が展開していくのですが。

まず、大阪生まれの著者が"ノイローゼを晴らすために"実際に友人を頼って潜りこんだアパッチ族の集落への取材の様子をフクスケの姿と重ねて描いている本書。今となっては眉をひそめるどころか大問題になって(されて)しまう差別的な言葉が頻出するも、その【饒舌にして生々しい大阪弁】の醸し出す言語的リズム感、描かれる普通の肉以外、食道から肛門に及ぶ牛の内臓の一系列を【ひきちぎって貪る食事シーン】は『生への前向きな疾走感』すら感じさせるほどにギラギラ(キラキラ)と魅力的で、前半からすっかり引き込まれてしまった。(ついでに、読後にたまらず。新世界にホルモンを食べに行きました)

一方で、アパッチ族の理想郷が次第に崩壊していく【後半からラストの展開】に関しては"失速している"との否定的な評価もあるらしいのですが。フクスケというより親分の在日朝鮮人、キムがクローズアップされ、キムが【無駄や無意味に終わっても】何とか集落を救おうと一生懸命に奮闘するも警察や公務員は文字通りに『お役所仕事』新聞社は『問題だ、問題だというばかり』で【なんの役にもたたず、当然に助けてくれない】ことを描くあたりに、著者の社会風刺的な視線や前向きなメッセージが込められている気がして、私にはむしろ重要かつ丁寧な展開をしているように感じられました。

大阪ディープ観光のお供の一冊として、またメディアによって、すっかりステレオタイプ化、希釈されてしまった『大阪弁』の魅力再発見にオススメ。

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