見出し画像

道徳の系譜学

"その頃に私の心を占めていたのは、道徳の起源についての自分や他人の仮説などよりも、はるかに重要な問題だったのだ(中略)私にとって重要だったのは、道徳の価値という問題だった。"1887年発刊の本書は序言と三つの論文で構成された著者代表作にしてキリスト教道徳転覆を目指した野心作。

個人的には『言葉』や『二次創作物』で著者を知ってはいても、ちゃんと著作を読んでいなかった事から本書を手にとりました。

さて、そんな本書は先に発刊された『善悪の彼岸』での自説を解説する意図のもとに発表したとも言われる中期から後期に分類される作品で、アフォリズム形式ではなく"道徳"をテーマにした3つの論文形式で議論を展開していて【『訳者あとがき』から結論を抜粋する】と、第一論文の結論が『キリスト教というものがルサンチマンの精神から生まれた』だとし、続く第二論文の結論は『良心とは、もはや外部に向かって放電できなくなってしまったので方向性を変えて内面へと向かうようになった残虐性の本能』と、約束と責任、刑罰と法について語りながら【キリスト教で生まれた"良心"が社会のうちで生きる人間をいかに苦しめているか】を暴き。最期となる第三論文の結論では『禁欲的理想、僧侶の理想はずばぬけて"有害"な理想であり、一つの終末への意志』であるが【だからこそ、人間、そして歴史は興味深いものになった】と締めくくっている。としているのですが。

『神は死んだ』と二次創作物ライト層からコアな哲学ファンまで様々な人が既にニーチェを語り尽くしている感もあるので、自分なりに自由に感想を述べさせていただくと【とても面白かった】

まず、全体として(訳者も巧みなのでしょう)確かに一応は読みやすい論文形式ではあるも、キリスト教はもちろん、決裂してしまったヴァーグナーへの感情的・攻撃的な言葉(=毒舌)などが【いかにも"ニーチェらしく"ニヤニヤしてしまう】し、また一方で、『善人』『悪人』といった言葉一つ一つへの『意味の転化』に対する遡った言及は【荒削りであっても刺激的】で、時代性も含めて完全には理解できなかったとしても充分に楽しめました。

また。本書で書かれている内容を勝手に『鬼滅の刃』鬼殺隊に例えると、当初は立場的な意味で煉獄杏寿郎の様に『強い力を持った人(貴族)が自らの責務を全うする』あくまで自己肯定的な意味で『善人』があり、それと比較して存在した『弱い人』『素朴な人』を指す概念がいつしか(僧侶階級によって)『野暮』『低級』ついには『劣悪』を指す『悪人』(鬼滅の刃的には“鬼"?)と変化してしまった。との指摘は【目から鱗的に面白く】また長くなるので割愛するが『疚しい(やましい)良心』という指摘も【現代社会にも通用する指摘】だと感じました。

著者の読みやすい代表作としてはもちろん、ルサンチマン的な振る舞いや、疚しい良心に縛られた人にやれやれしている方にもオススメ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?