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西の魔女が死んだ

"そして、そのとき、まいは確かに聞いたのだった。まいが今こそ心の底から聞きたいと願うその声が、まいの心と台所いっぱいにあの暖かい微笑みのように響くのを。『アイ・ノウ』と。"1994年発刊の本書は著者デビュー作にして、丁寧な日常の大切さ、自然の力の大事さのヒントを教えてくれる一冊。

個人的には、数々の児童文学賞を受賞し、映画化もされ評判の高い本作。未だ未読であったのと、著者の別作品『家守綺譚』がとても良かったので手にとりました。

さて、そんな本書は中学校に入って不登校になってしまった、まいが『西の魔女』こと山奥に1人住むおばあちゃんの元でひと月あまり過ごす中で、魔女の手ほどきとして【何でも自分で見ようとしたり、聞こうとする意志の力の大切さ】を自然の中で少しずつ学んでいくのですが。

約200ページの本書、魔女という言葉から直接連想されるような派手なファンタジー冒険展開をすることもなく【物語自体としては割りとあっさり終わる】のですが。それでも私事で恐縮ですが、子供の時に授業で自画像をネズミ色で描き、先生に『色がおかしい』と言われた事がトラウマになり、大人になってもカラフルな絵が描けなくなった自分にとっては、まいが父親に死について質問された時に悪意なく答えた『死んだらなんにもなくなるんだ』という言葉に傷つき泣いてしまうシーン。よくわかるし、またそれを【魔女として救ってあげようとする】おばあちゃんの優しい言葉の端々にはじーんと来る部分がありました。

また、まいから見て終始嫌われている存在として描かれるケンジさん、そして彼が犯人だと思われる"事件"の真相は結局わからずじまいでしたが。おばあちゃんが指摘するように、また彼女をとりまく本書での登場人物たち、おばあちゃんはもちろん、ママ、パパ、(故人ですが)おじいちゃんと、みな【それぞれに優しい人たちなので)仮に犯人だとしても、それはそれでケンジさんなりの(おばあちゃんが)許してしまうような理由があったのかな?と思いました。

子どもの時の感じ方、眺め方を思い出したい誰かへ。また子育て世代の誰かにもオススメ。

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