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限界、そこが始まり

5/6にTurns blueのラストシングルがリリースになった。

割と人が入った西永福JAMで「2月にリリースする」と言った記憶が確かにある。僕自身、働きながら音楽をやっている以上、普通のミュージシャン以上にコンスタントに音源を出すことが大切だし、そういうスタンスの方がかっこいいと思う。そういう主義思想にありながら、自分の胆力や体力、人間力の足りなさによって、またもリリースが遅くなってしまった。
もし待ってくれている方がいたのなら、とても申し訳なく思う。

このシングルをもって、Turns blueは活動を終了する。

最後のシングルのテーマは「労働」である。
Turns blueは、なにか自分がライフワークにし信条にしているものがあったとして、それに覆い被さる暗い影の部分をまっすぐ見つめて、昇華させていく音楽だったと感じている。そう考えると自分にとって労働は、ここ数年において「暗い影の部分」だったのかもしれない。

この2曲は「労働後の男女」をそれぞれ1曲ずつに振り分けて歌ったコンセプトシングルだ。その枠組みがあるということだけ、ここに書き記しておこう。

もう思えばここ数年、ずっと緩やかに「限界」だったのだと思う。
それは労働にしても、生活の味気なさにしても、そうだったのだろう。
僕はすべてに限界をずっと感じながら、それでも今ある環境でどうにか明るい兆しを掴もうと、もがいてきたのだと思う。

そんな苦しみの時期を、とある男女に託した。
それがこのシングルということになる。

今ある環境で起きる、言葉にならない苦しみや迷いをそのままに表現するのがTurns blueということになるなら、やはりTurns blueの表現は、ここで極まったと言える。なぜならば、僕の考え方自体が少しずつ変わってきているからに他ならない。だからこそTurns blueを終了させ、新しい表現の場所を作ることにした。

残念だが時間は誰にも平等に与えられ、過ぎていく。しかしキャパシティ、人生に願うもの、大切にしたいもの、それは人それぞれ違う。
僕の場合、やりたいことが多い。しかしキャパシティはそこに追いつくほど大きくはない。つまり、やりたいことの全てを同じ地平に並べると、時間も体力も足りない。体育会系の体力タンクが移植できればいいのだが、今更そんなことも叶わない。

何が言いたいのかというと、本当に大切なものはなんなのか?を改めて棚卸しする必要に駆られた、ということだ。
今までは何でもかんでも一生懸命に取り組んで、できるトライは全部して、四方八方にぶつかってきた。その営みの中で、自分のキャパシティからこぼれ落ちた感情や出来事を音楽にするのが、Turns blueだった。

でもそれは果たして本当に、人生において絶対に手放してはいけないもの、人を大切にすることにつながっているのだろうか?
そもそも、自分が人生をかけて大切にしたいものはなんだったろうか?
このシングルを作ってから、ずっとそんなことを考えていた。

僕はどこに行っても「王道の中の異端」だ。
会社に行けば、仕事と遊びという典型的なパターンの社会人ではなく、
仕事の他に本気で打ち込むことを2、3個持っており、休みの日も追われていて、同僚からは常に疲れているように見える謎多き人間に思われる。しかしもう少し一般的物差しでみれば、僕の人生における肩書きは比較的充実していて、順風満帆な人生を歩んでいると思われるのかもしれない。

音楽はどうだろうか?
ライブは好きだ。音楽を作ることも好きで、比較的まっすぐで上品な音楽を作っているはずだ。しかし、(いや、だからこそ)ライブハウスには未だ馴染めない。僕はどことないムラ感が嫌いで、友達ができない。ライブバンドにおける典型的な、打ち上げで友達を作って、繋がりを使ってライブに出て、というようなことは皆無だ。おまけに酒も、たばこも、怠惰も好きではない。コミュ力はなく、真面目で面白くもない。不健康さも天才感もない。

だからこそ僕はずっと、一見“ふつう”な風に見えて、
それゆえに疎外感を感じている人たちの居場所を、
表現の中に作りたいと思っている。

それは僕の人生のテーマであり最上位概念のひとつだ。
きっとこれからもその気持ちは変わらない。
だからこれからの人生は、その居場所を守っていくために、つまりは変わらないでいるために、そのための正しい変化ならもっとポジティブに受け入れよう、と決めた。

変化を起こすことは、リスクが伴う。
しかもそれは実際にやってみないことには、
うまく行ったか、そうでないかもわからない。

もう、どうにも時間がない。
なら、信じてどんどん変わっていくしかない。

僕にとってバンドは、圧倒的に大切な居場所のひとつだ。
Turns blueを畳んで新しくバンドを興すことは、大切な表現の場所を守るための、変化の一手だ。限られた時間の中で、大切なものにはちゃんと、時間と愛と優しさを注いでいかなければならない。
そのために、これからも正しい変化を続けていくのだと思う。

今までは「このクソな飲み会のせいで、人生時間が足りないんだよね」と嘆いてきたが、これからは「こんなパーティしれっと抜け出して、家に帰って好きなことしてもいいんじゃない?」と、言っていくのだと思う。変わらない大切なものを守るためなら、時には自分らしくないと思ってしまうアウトプットをしたって、いいのだと思う。それは紛れもなく、正しい変化なのだから。

無理も背伸びもしない。クソ真面目でもなんでもいいじゃないか。
全然だらしなくない、エロくもクソでも天才でも卑屈でもないバンドマンの、なにが悪いんだ。自分にとって絶対に必要な居場所は、必ず守る。

王道の中の異端たちの、優しい避難所でありたい。
そのための音楽を、ずっと続けていきたい。
(でも閉鎖的にならず、いつでも正しく世の中と向き合って、闘って、
変化を受け入れながら!)

この移ろいが早く生きるのも困難な世の中にあって、大切な音楽を大切な仲間と10年や20年続けること、それ自体がいかに尊く深い意味を持つことなのか。そしてどんなに大変なことなのか。それらを噛み締めながら、向き合いながら、これからも生きていきたいと思うのだ。

さよなら、Turns blue。
僕に限界を教えてくれてありがとう。








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タカハシナオキ
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