自分の曲に救われるなんて
ダサいと思っていた。
基本的に自分でない誰かに届けるつもりでやっているから。よく売れたバンドマンがそんなこと言っているけど、それ自慰行為だろ?ってひねくれていたりして。
ところで僕は「おくりびと」だと思っている。
いささか個人的な話にはなるが、僕にはいとこや甥姪がおらず、遠近関わらず親戚に同世代がおらず、正真正銘の一人息子、そういう意味では「ラストサムライ」でもある。親戚は皆高齢で、O-80W杯日本代表なら組めそうな勢いである。(OはオーバーのO)
これまでも何人か見送ってきて、これから先何人を見送ることになるのだろうと思うと、普通に気が重い。1人が病に伏して、旅立って、見送って。ここに至るまで、周りにいる人々にかかる労力とお金。今大学三年で、何をしてるの?と聞かれれば、音楽をしていて。理想は音楽で飯を食うこと。極限まで理想を追いたいけど、僕は極端なリアリストだ。ネクタイを締めて、万が一に備えられるお金を、若いうちから稼がなきゃならないのか?とも思ってしまう。今年の春もある人は旅立ち、ある人は不慮の事態になった。
ただ、ただ誰かのために必死に自活してきた年寄りが、全然何の関係もない他人のせいで、生活を狂わされるなんて、何か悪いことでもしたか?普通にそう思った。久々に最低の春だった。生きるとは何だ?幸せな人生って何だ?わからない。そんな煩悶を続け、はや何週間が経ったか。
春を迎える前、僕はある曲を書いた。それはまるで予言のようだった。
「春の報せを待ちながら また1つ歳をとる 新たな希望 亡くす悲しみ 揺れ動く鼓動 生ぬるい風が包む」
2月の下旬に書いた曲だが、まさにこのような状態に自分が陥ったのだ。2月の自分への恐怖で、背筋が凍った。
「生きるとは何だろう?」
後に来るこの問いかけに、休む間もなく感情が揺さぶられるのだ。これはこれで、少年時代、音楽に気づかされ育てられたあの時の感覚と同じものだった。
あぁ、今何の打算も、色眼鏡もなしに自分は自分に教えられているのかもしれない。そういう感覚になった。そういう曲を書けていてよかった。とも思った。
やっぱり自分の曲で自分が救われるのはダサい気がしてしまう。だからもうこれで終わりにしたい。でも、今年の春はこれでよかったのだと思う。こういう曲がずっとかけるなら、音楽はやっていてもいいような気さえする。
親戚皆、私の行く末を非常に楽しみにしてくれているのを感じる。だから僕は聞いてくれるあなたも含めて、身近にいてくれる人の「希望」になろうと思っている。とりあえず今は音楽だ。懸命にやりたいと思う。
春の報せという曲には、未完成の部分があって、春の終わりに歌詞を付け足した。
「春告げるあの花のように 力強く可憐に散れたら 叶わなくてもたった1人でも ずっと ずっと この道をゆこう」
20歳の若者は、最後の別れの翌日、分かったような顔をして、メモ書きにそう書いた。
この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。