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フランスとベトナムが生んだ傑作 インドシナ半島に咲いた愛の彷徨【映画:愛人/ラマン】

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映画:愛人/ラマン

監督が言うように、「自分が見たかった『愛の物語』を描いた文学作品」は、とても官僚的で、哲学としても秀越で、「少女漫画」の世界を越えられない邦画の恋愛物語とは比較できないほど、強烈に心に響くものがあった。

混沌とした川を流れる舟。青々とした緑と田園風景と、大都市ホーチミンまでの悪路。ヴィンロンとサデックを結ぶ、メコン河の支流。この地は、なぜ、これほどまでに自分を惹きつけるのだろう。

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メコンデルタからサイゴンまでに向かう道。

物語の主な舞台は、1920年代仏領インドシナ時代のサイゴン。フランス人少女と中国人青年の愛の彷徨と葛藤。その背景に映し出される、雄大なメコン川。インドシナへの郷愁というか、愛情というか、鳥肌が立って、誌的な、美しい、「想い」が繋がった圧巻の自伝的小説。(ちなみに、日本語の映画のサブタイトルが「15才の私。愛、心に痛い。」というなんともセンスの無い、残念なものなのだが(すみませんw)、この映画を観た人々で、どれだけ、ベトナムやメコンデルタの歴史や文化を知っているのだろう。もっと哲学が込められているはずなのに、なぜか日本では、完全に「淫らな恋愛」のイメージができあがっているのが残念・・)

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白人社会から取り残された貧しい少女の野心と権力と金への憧れを抱き続けた少女の記録。

ずーーっと前から見たくて、メコンデルタに降り立った瞬間、また見たい欲が高まったのにも関わらず、どこでも見つけられなくて、数年の時を経て、ようやく見ることができた。フランス人が、この小説と映画の舞台になった場所に、あれほどまでに訪れたくなるのは何故なのか?秀逸な美的センスや文学作品が多いフランス人は、どのようなものに惹かれるのか?自分自身が、コロニアル様式の建築に、あれほど魅せられるのは、なぜなのか?中国とフランスの洗練された文化の融合の魅力は、ベトナムのカントーにあるビントゥイの旧家でも出会い、ずっと、もっとこの文化に近づきたかった。

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サイゴンまでの車の中での華僑「サイゴンのチョロン地区が好き」
寮の友人「伝染病の看護師にさせられる」

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兄と妹、下の兄は阿片(アヘン)にやられ、父は亡くす
仏領インドシナ「中国人は大嫌いだもの」
貧しい家族に生まれたフランス人
「私達に共通の未来はない。だから深入りせずに語り合った」
Ecole de Sa Dec 家はサデック
フランス人「私はこんな不毛な家族から逃れられない」
フランス人「あの夜、決めた。母の人生の小説を書こうと。ときの流れを越えた砂漠のような人生」
華僑人「君に出会って、初めて苦悩を知った。」
ショパンのワルツを聞き、「彼を愛していたのだと気づく」

1984年にフランスで出版されるやいなやベストセラーを記録、世界43カ国で翻訳された小説L'AMANT。20世紀を代表する女流作家、マルグリット・デュラスが自身の体験をもとに描いた、あるフランス人少女と中国青年が繰り広げる性愛、そしてそこに秘められた純粋なる魂の物語が、堪能的な映像美によって完全映画化されている。

撮影当時わすが17歳、しかも映画初出演だったにもかかわらず、堂々たる演技で世界中にセンセーションを巻き起こした新星、ジェーン・マーチ。アジアのトップスター、レオン・カーフェイを相手に、まだ幼さの残る瑞々しい肢体をさらけ出した大胆なセックスシーンは公開当時日本でも話題となり、文芸作品では異例の大ヒットへと繋がった。


舞台となる1920〜30年代の仏領インドシナとは

当時のヴェトナムはフランスの支配下に置かれ、カンボジア、ラオスの一部とともにインドシナ連邦を形成していた。歴史的に見てもこの時代が最も繁栄しており、米の輸出は米国に次いで2位、また鉱山採掘やゴムのプランテーションが急速に発展する中、華僑と呼ばれる中国人たちがフランス人とヴェトナム人の間に介入、商業的利益を手にしていた。
完全に再現されたアジアとフランスを結ぶ大型定期船の値段は
少女と青年が密会する部屋のある華僑地区ショロンの喧騒あふれる町並みや当時の衣裳、リムジンなどを再現するため、綿密な配慮がなされた。特にラストの少女がフランスへ帰る際に乗船する大型船は、100万ドルかけて修復し、キプロスからヴェトナムの港まで運ばれた。そのため総制作費は仏映画では破格の3000万ドルまで達したという。

メイキング・ストーリー
文学作品とラブストーリーを兼ね備えた周越している普通の愛の葛藤だけではなく、人種問題、貧富の差、社会格差などの、葛藤も描かれている。
冒険家の素質が必要。
サイゴンは19世紀のコロニアル様式の建築物の宝庫。

「女性のオーディションは特に難しかった。女優になりたいという人々は多いが、残念ながら光るものを持っている子はそうはいない。ただ、目を見ればわかる訴えられるものがあって、その瞬間、鳥肌が立つ。」

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今回、抜擢されたフランス人の少女役に選ばれたジェーン・マーチ
「彼女は取り立ててて美しくはなかったが、他の人にない訴える目を持っていた。彼女から、とてつもない野心と臆病さが見て取れた。感情があふれ出ていた。可愛い顔の下に、魔物が潜んでいるのがわかった。」「彼女は、もろさと力強さが同居している」

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中国人俳優
中国人俳優を探すため、ロス、東京、ニューヨーク、台北、行ったがアジア系の俳優にオファーされるのは、薬物、タクシードライバー、カンフー、などだと気づいた。伝統的な中国文化と、当時のヨーロッパ文化を兼ね備えた俳優はどこへ行けば見つかるのだろう。彼を見つけたのは、香港滞在最終日だった。

ベトナム人の民族の誇り

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ベトナム人の俳優を、探すため、すべての俳優協会や伝統舞踊、祭典を回った。あの頃、「映画とは」を理解する人々が皆無だった。監督の現地パートナーは、ベトナムに留まったインテリ。インドシナの文化の残りを知る男性。

男性は監督に言った「you really have to be precise because you could give wrong image of Indochina forever」ベトナム戦争の映画は多々残るが、1920年代のベトナムを描いた作品はほとんどない。その為、非常に繊細に気をつけなければならなかった。なぜなら、このイメージが、今後の1920年代の指針になるから。マルクス主義だが、仏教が残る国。

メコン川にフェリーが下るどのように広大な川を表現するのか?
メコン川の撮影では、いい風が吹くまで、何日も待った。

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エキゾチックなアジア簡単な文章ほど映像にするのな難しい。詩的な文章
自分が撮りたいものを熟考し、人々に伝え、つくりあねる。本道を突き進む

マングローブのダムカンボジアとの国境付近(陸路はないので全てをヘリコプターで運んだ)

インドシナ半島。

これまで旅をしてきて、ずっと、心に残っている場所は、いつもこの地だった。

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最後に、これはカントーの水上マーケットへ行く途中の運河。なぜだか、ハノイからカントーに戻ったときのこの景色が、頭から離れない。ラマンを通して、フランス人の友人が、あれほどまでにメコンデルタに対して特別な感情を持っているのが、少しだけわかった気がした。

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