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情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさ【本:旅をする木】

東京庭園美術館で、旅の図書館がオススメの本が紹介されていて、そのうちの一冊が石川直樹氏の『極北へ』という本だった。その中で、石川氏がよく語っていた人の中に、星野道夫氏がいた。アラスカを愛し、アラスカに暮らした。そんな氏の『旅をする木』という本を見つけたのは、あるカフェだった。

星野道夫
1952年千葉県生まれ。慶応大学経済学部卒業。アラスカ大学野生動物管理学部に留学。86年マニア賞、90年木村伊兵衛賞受賞。96年カムチャッカにて逝去。著書に『星野道夫の仕事』、『ノーザンライツ』などがある。

本『旅をする木』

星野氏は、写真家だけれど、読書家でもあったので、とにかく情景や人々の心境の変化や移り変わりの描写が素敵で、文章を読んでいるだけで、星野氏が見る四季のある世界に惹きつけられる。文章は、ときにビジュアルよりも語っている気がした。

・頬を撫でてゆく風の感触も甘く、季節が変わってゆこうとしていることがわかります。

・人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。

・アラスカという道の世界へ入ってゆこうとする真摯な自分の姿がありました。

星野氏は、どうしてもアラスカの大学の野生動物学部に入りたい一心で、入学のために必要な英語の点数が30点程足りなかったが、直接アラスカの大学へ出向き、学部長に会いに行った。「これからじっくり極北の自然と取り組みたいこと、わずか30点の違いで、1年を棒に振ることはできない」と。

・アラスカという白地図の上に、自分自身の地図を描いてゆかなければならなかったのです。

・人間と自然との関わりとは、答のない永遠のテーマなのだと思います。しかし、誰もがそれぞれのより良い暮らしを捜して生きています。その中で人々がどんな選択をしてゆくのか、自分の目で見てゆきたいです。

・たどり着くべき港さえわからない新しい旅です。もしかすると、誰もさまざまな意味でそういうことなのかもしれませんね。

・毎日のように頭上を飛んでいたカナダヅルの編隊も南の空に姿を消し、晴れ上がった夜にオーロラが舞い始めると、秋色はいつのまにか色あせています。

・空は、こんなに美しいのに、なぜかひとの気持ちを焦らせます。

・無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じることができる。自然とは、何と粋なはからいをするのだろうと思います。一年に一度、名残惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません。

・日々生きているということは、あたりまえのことではなくて、実は奇跡的なことのような気がします。

・そういう脆さの中で私たちは生きているということ、言いかえれば、ある限界の中で人間は生かされているのだということを、ともすると忘れがちのような気がします。

神話学者ジョセフ・キャンベル
「私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。人は、聖地を創り出すことによって、動植物を神話化することによって、その土地を自分のものにする。つまり、自分の住んでいる土地を霊的な意味の深い場所に変えるのだ。」

・砂と星だけの夜の世界が、人間に与える不思議な力の話でした。

・きっと情報があふれるような世の中で生きているぼくたちは、そんな世界(砂漠の星空)が存在していることも忘れてしまっているのでしょうね。だからこんな場所に突然放り出されると、一体どうしていいのかうろたえてしまうのかもしれません。けれどもしばらくそこでじっとしていると、情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさを少しずつ取り戻してきます。それはひとつの力というか、ぼくたちが忘れてしまっていた想像力のようなものです。

・ナバホ族の神話
隠れた知恵を明かしてくれる聖なる霊の声

・自分の記憶の中にだけしまった思い出というのは、不思議な力を持ち続けるものですね

・アンデス山脈へ考古学の発掘調査に出かけた探検隊の話です。ある日、荷物を担いでいたシェルパの人びとがストライキを起こします。

「私たちは、ここまで速く歩きすぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで待っているのです。」

・ガラパゴス諸島
今消えゆこうとする世界をちゃんと記録しておきたい。

・コロンビアのアルドウは、すがすがしく、どこか哲学的で、何とも言えぬ可笑らしさがありました。どこか浮世離れしていて、彼の一途で素朴な人間性に魅かれました。人と出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってきます。やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいものです。

・アラスカ川の大河ユーコン
アラスカでは、アークティック村、チャルキーツィック村、ヴィタニイ村がグッチン族の世界です。

・正しい答をださなくてもいいというのは、なぜかホッとするものです。

・ぼくは名所旧跡を訪ねるより、町のカフェや場末の食堂に入って人々の表情を見ているのがすきなので、毎日そんなふうにしてぶらぶらザルツブルクを楽しんでいます。コーヒーを飲みながら、チェスをしたり新聞を読んでいる人たちを眺めています。わずか数メートル横に座っている人の人生を何も知らず、結局知り合うこともないというのは面白いですね。

・スイスの自然は、とても美しいのですが、奥行きがないのです。ホッとさせてくれる自然ですが、人間を拒絶するような壮大さがないのです。

・初めてヨーロッパに来て良かったなと思うのは、アラスカを含めた2つの世界の時間の流れをもてたことです。自分の目で見ることと、本で読んだり人から聞いたりすることは、やはり全く違う体験ですね。アラスカへ帰ったなら、また少し違う気持ちで旅をしてゆけるような気がします。

・アメリカという近代文明の粋を集めた国で、人間の歴史と逆行するような社会をつくりあげている人々の存在が、以前から不思議でなりませんでした。

・ニューウェリントンの町
現代文明に生きる町の人びとと、それに背を向けたアーミッシュの人びとが寄りそって暮らしているのです。

・マッキンレー国立公園
こんな大変な時なのに、もう一人の自分が窓ごしの風景に見とれていた。
友人の死。母親の「あの子のぶんまで生きてほしい」という言葉。一年がたち、ある時ふっと、ある結論が見つかった。何でもないことだった。それは「好きなことをやっていこう」という強い思いだった。友人の死は、めぐりめぐって、今生きているという実感をぼくに与えてくれた。かけがえのない者の死は、多くの場合、残された者にあるパワーを与えていく。

・険しい山々、広大な氷河地帯、そして深い森によって隔絶されたこの世界で、かつてトーテムポールの文化を築き上げたクリンギット族、ハイダ族のインディアンは一体どこから来たのだろう。

・誰もが何かに夢をもつように、年老いたディイはそれを地図に持ち続けていた。

・雨は本降りになってきた。深い森の木々の間を霧が生き物のように動いていく。山の上の氷河は雪になっているのかもしれない。ぼくは身体を濡らす雨の中に、遠い異国から絶え間なく流れ続けてくる、穏やかな海流の気配を感じていた。

・どこか、ひとつの人生を降りてしまった者がもつ、ある優しさがあった。

・すべての生命は無窮の彼方へ旅を続けている、そして、星さえも同じ場所にとどまってはいない。

・ぼくはこの時間を誰かと共有したかった。感受性の鋭い子どもの頃にこんな風景を見ることができたなら、どんなに強い記憶として残ってゆくだろう。

・オブラートに包まれたような都会の暮らしから、少しずつ自然に帰ってゆく子どもたち・・・何もないこの世界では、食べて、寝て、できる限り暖かく自分のいのちを保ってゆくことが一番大切なのだ。

・「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたのとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったら、キャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」

・人の一生の中で、それぞれの時代に、自然はさまざまなメッセージを送っている。この世へやって来たばかりの子どもへも、去ってゆこうとする老人にも、同じ自然がそれぞれの物語を語りかけてくる。

・まだ幼かったころ、夕ごはんに間に合うように走って帰った夕暮れの美しさは今も忘れない。一日が終わってゆく悲しみの中で、子どもながらに、自分も永遠には生きられないことを漠然と知ったのかもしれない。

・すべてのものに平等に同じ時間が流れている不思議さ。
子どもながらに、知識としてではなく、感覚として世界を初めて意識したような気がする。

人間は動物のすべての行動に解釈を試みようとするが、クジラが何を伝えようとしているのか、結局ぼくたちがわかることはないだろう。

・ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。

・トーテムポール
人々の暮らしはあまりに変わってしまった。たとえ形は同じでも、トーテムポールは何も語りかけてはこない。それを刻んだ人々の心の中で、ものがたりが消えてしまっているからだ。

・10代の頃、北海道の自然に強く惹かれていた、
北方への憧れは、いつしかさらに遠いアラスカへと移っていった。
東京、神田の古本屋街の洋書専門店で、一冊のアラスカの写真集を見つけた

・いったいどんな人々が、何を考えて生きているのだろう

・見知らぬ人々が、ぼくの知らない人生を送っている不思議さだったのかもしれない。同じ時代を生きながら、その人々と決して出会えない悲しさだったのかもしれない。

・シュシュマレフ村
もし人生を、あの時、あの時・・・とたどっていったなら、合わせ鏡に映った自分の姿を見るように、限りなく無数の偶然が続いてゆくだけである。

・人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている。

・それにしても人間は、何とそれぞれ多様さに満ちた一生を送る生きものなのだろう。

・政治も、社会も、何もなかったように変わってゆく。そして個人の夢や人々の文化だけがしたたかに残ってゆく。

・パイロットのロジャーは、シャイで、それでいて人が大好きで、にじみでるようなユーモアのセンスをもっていた。笑うと、四角い顔の目じりが下がり、笑顔の奥に深い悲しみを感じさせた。人の気持ちを暖かくさせる、不思議な力をもっていた。そしてそのことに何も気付いていない人間だった。

・極北の自然に限りない夢
国の巨大な計画に反対することが困難であった当時、それは草の根を力とした長い闘いになっていった。

・何日も海だけを見ながら過ごしていると、自分が暮らしていた陸地は不安定なつかのまの住処のようで、海こそが地球の実体のような気持にとらわれた。海は限りない想像力と、人間の一生の短さをそっと教えてくれた。

・一人だったことは、危険と背中合わせのスリルと、たくさんの人々との出会いを与え続けてくれた。その日その日の決断が、まるで台本のない物語を生きるように新しい出来事を展開させた。それは実に不思議なことでもあった。バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきりと見せてくれた。

・ぼくが暮らしているここだけが世界ではない。
さまざまな人々が、それぞれの価値観をもち、遠い異国で自分と同じ一生を生きている。つまりその旅は、自分が育ち、今生きている世界を相対化して視る目を初めて与えてくれたのだ。

・「寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。」

・人間の風景の面白さとは、私たちの人生がある共通する一点で同じ土俵に立っているからだろう。一点とは、たった一度の一生をより良く生きたいという願いであり、面白さとは、そこから分かれてゆく人間の生き方の無限の多様性である。

・人生を生きてゆく身の軽さ
Personal definition of success 

・川の流れの中で生きてゆく
誰だってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな、驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう。

・「世界が明日終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える」
ビルの存在は、人生を肯定してゆこうという意味をいつもぼくに問いかけてくる。

・わずかなことで気持ちが膨らみ、一日が満たされてしまう。人間の心とはそういうものかもしれない。遠い昔に会った誰かが、自分を懐かしがっていてくれる。それは何と幸福なことだろう。

・シトカ
「時折誰かがここにやってくると、自然の中で何てすばらしい生活をしているのかと感動するのね。でも、一週間もしたら、皆耐えられなくなってしまう。淋しさとか孤独にね。でも、ある時、そこを一度突き抜けてしまうと不思議な心のバランスを得ることを見つけたの。町にいれば、自分自身の中にある孤独を避け続けることができる。テレビのスイッチをひねったり、友だちに電話をかけたりしてね。でも、ここではそれができない。その代わり、その孤独を苦しみ抜いてしか得られない不思議な心の安らぎがあったの。」

サン=テグジュペリ『夜間飛行』

・私たちが生きることができるのは、過去でも未来でもなく、ただ今しかないのだ。結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。

・何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時間を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。

・厳しくて、公正で、恩恵に満ちた自然と、自然に拠って正しく暮らす人々を見た。そして、自分がそれを見られたこと、その人々に出会えたことの幸運を何度もくりかえし書いた。結局のところ、書物というものの最高の機能は、幸福感を伝えることだ。

・人間は文明を作ることで自然の厳しさから逃れ、安楽に暮らすようになった。それはそれで結構なことだが、そのために生きるということは鮮明な喜びではなくどこかぼんやりとした曖昧なものになった。


自分自身も、とにかく時間があれば活字に飢えているから読むけれど、最近どこかで立ち読みした本で、以下の言葉を見た。

"One best book is equal to hundred good friends but one good friend is equal to a library." by APJ Abdul Kalam 


そうなんだよね。どれだけ素敵な本を読んだとしても、やっぱりそれを伝える相手がいることが、自分があらゆる分野の本がある図書館の世界にいるかのように感じさせてくれる。伝えると、また別の本を紹介してくれたり、議論できたり、お互い成長を続けることほど、素敵な時間の過ごし方はないんじゃないかなと思う。

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#ルース氷河源流 #夜間飛行  



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