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「自分の人生を生きること」とは

今から約9年前に、初めて今住んでいるベトナムの地に降り立ったとき、なぜか「居心地の良さ」を感じた。言葉は通じないし、行き交うバイクの量と音に圧倒されたし、物事は思ったとおりに進んでいかないのだけれど、その新鮮さと人々の生活が魅力的だった。

その時は、たった3日間。ホーチミンとミトーへの旅行で、3日間で何がわかるのだろうと思ったけれど、あれから、ずっとあの時に自分が感じた「居心地の良さ」の正体を深く追求したかった。

自分が何かを好きになるとき、それはなぜなのか?
自分が本当に居心地が良いと思える場所は、どうして心地が良いのか?

グローバル企業に就職し、日本の各オフィスのメンバーや世界中の同僚達とビデオカンファレンスやトレーニング、各国の課題や事例共有を行い、同じビジョンに向かってチームで仕事をこなしていくことは刺激的でとても多くを学んだ。優先順位のつけ方、ロジカルシンキング、分析力、日常業務、コミュニケーションスタイル、タイムマネージメントももちろん。

でも、いつか、東南アジアで生活をする自分の姿をずっと、思い描いていた。リアルな場所での変化や人々の笑顔が原動力なんだ、と。グローバル企業内で、他国の部署で働くことはまれにあっても、東南アジアの経済大国はシンガポールであり、APACの中心オフィスもシンガポール。すでに「発展した」国にはあまり興味が無かった。そして、生活がしたい、と思っていたベトナムやタイ、カンボジアといった場所では、当然ながらビザ関連や言語の問題が出てきた。

日本社会にある「生きづらさ」、それは「当たり前にハマれない辛さ」。
・大学を卒業したら就職する
・女性は結婚して子供を産むのが一人前
・週5日、40時間働く
・飲み会や懇親会には参加して酒を飲む

一人前って、誰基準?懇親会の終りの時間が無いのはなぜ?

あれから、とても長くの時間がかかったけれど、ようやく私はベトナムで生活している。そして、約9年前の「居心地の良さ」の正体を少しずつ、紐解いているような気がする。自分の人生を生きること、それはとても難しくて、とても繊細で、それでも、追求し続けないといけないことなんだと断言できる。そして、地理的にも文化的にも遠く離れた人々の生活の魅力を、「観光」を軸に橋渡しができる立場って、単純に面白い。

ベトナム人は、優しいのに鋭い。芯があるのに、柔らかく、人間味がある。

私たちは、とても「便利」な世界にいる。瞬時に、今、世界で何が起こっているか、誰がどこに行っているか、誰と会っているか、何を食べているか、何を考えているか、スクロールひとつで知ることになる。

情報や知識が増えれば、人間関係も円滑になると思っていたら、関係性はどんどん難しくなっていく。相手がどう思っているか、相手にどう自分を見せたいか、先回りして考えて、「表現」する。特に日本は、私達が生まれたときから規律が整った国であり、ほとんどの人が平均した育ち方をし、似た環境で育つ。恵まれている分、平等に権利を得れるのが当たり前、言論の自由は当たり前、安全であり、一度自分の想像を超える「異文化」に触れると、どう対応してよいかわからない。 

周りに対する「気遣い」のエネルギーを、もう少し自分自身に対して遣うと、もっと楽になると思うし、開放されると思う。

相手を気にして言いたいことを言わない、とか我慢する、という考えが、良い意味でベトナムの人々には無いと思う。日本で、言いたいことは言わない、ということは、「相手に迷惑をかけたくない」という気遣いからなのかもしれないけど、結局、それは自分を大切にしていないということであり、相手のことは信じていないことでもある。

私は、海外で「日本人」であることに誇りを持ちながらも、「自分」であることを最大限大事にできるようになった。自分のために、自分を生きること。

有名なパレートの法則から派生した、人間関係の2:6:2の法則がある。
(集団で)自分の人間関係の中での比率は、

2:自分のことを好きな人
6:どっちでもない
2:自分のことを嫌いな人

に分けられるそうだ。これは日本の企業にももちろん当てはまる。自分が関わった、欧米の企業(3社)は全て2:企業のことを好きな人(熱狂的ファン)にエネルギーと時間を注ぐことに集中していた。反面、日本では、6:どっちでもない人々(一般顧客)と2:企業のことを嫌いな人(クレーマー)にエネルギーと時間を注いでいる気がする。それで何が起こるかというと、全体的に何となく全体を押し上げるけれど、自分達だけで頑張ろうとするから、注いだエネルギーと時間に比べて中々大きなビジョンが描けなくて結果がでない。サービスを「安く」するしか着いてこない顧客相手に全力疾走。勝手に疲弊する。熱狂的ファンと共に成長すること程、面白いことはないはずなのに。

正直、ベトナムの現地給与は驚くほど安い。けれど、単純に、不機嫌な人々がいない。そして、他人の些細な感情に巻き込まれる人がいない。大人が子供たちを楽しませようとしているのではなく、大人が子供たちそっちのけで人生を楽しんでいる。この社会が、子供たちにとっても、どれだけ「生きやすい」社会なのだろう。

人からの誘いを断れなくて、仕方が無く参加し、ストレスを抱え込む人がいる。自分も昔はそうだった。そもそも、私はお酒を飲まないし、集団行動が合っていない。このことが、なぜか自分のコミュニケーション能力に問題があり、自分の性格を変えないと、と思っていたけれど、今なら、はっきりと、必要が無いものは断ることができる。なんせ、大勢の人々と会うと自分のパフォーマンスが下がるのだ。面白くないものに対して、無理に笑う必要も無いし、その時間を本や動画を見る時間につかうほうが学びが多い。時間やエネルギーの無駄遣いを徹底的に無くすことを大事にする。自分の意見を相手に伝えること。異論があればいうこと。相手の言葉の意図がわかるまで質問し続けること。これは、言語や文化の違いではなく、日本人同士でもなぜそう思うかを聞きまくる。

私が、日々大事にしていることがある。常にプロフェッショナルでいること(自分が一番楽しむこと)→世界中からの旅人と定期的に会うこと

筋が通っていれば、やりたいことはやらせてもらえる。

全部叶えても、案外墜落しないもの。「誰かのために」と自分を置き去りに考えない。自分のために動いている意識で生きること。その土台があって、自分が満たされていて、初めて相手にも自然と与えられる。

"I believe our great success in life is having the peace that comes when you remember who you are and what you stand for and live by it everyday." 

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